『線は、僕を描く』の続編。
大学4回生になった主人公青山くんを描いた作品です。
もちろん、裏主人公は青山くんの師匠湖山先生(だと思います)。
今作も湖山先生を通じてたくさんの気付きを得るために楽しみに読みました。
さて、そんな本作品、読む前は前作の続編なので青山くんには絵師として紆余曲折しながらも約束された未来があるものだと思っていたので、青山くん無双を楽しみにしていたというのも本音です。
でも、敢えてネタバレすれば、そんな話ではございません。
むしろそんな俗世間みたいな野暮なことを期待した私がアホでございました。
そんな生易しくて最後もただのハッピーエンドなんていうのは本作品が描いた線ではなかったはずなのにということを思い知らされました。
本作品はまさに『線は、僕を描く』の続編にふさわしい作品であったなということをまずはお伝えしたいと思います。
本作品で描かれているということは「休むこと」の大切さではないかと思います。
私もそうなのですが、仕事にしろ何にせよ、休むことが苦手。
好きなことはずっとやっていたいし、頑張ってやりこなしたいという思いは強かったりします。
でも、はじめはそれで良いかもしれません。
できない時は繰り返しできるようになるまで没頭してやること、これが大事な時期があることは疑いないとは思います。
ただ、やればやるほど完璧を求めすぎて、ちょっと失敗して駄目だなと思うと、もう自分は全く駄目で能力がないと思いがちです。
また、好きなことでもやり続けていくといつか壁にぶち当たるし、やり続けていても面白くないと思うことが多くなるものじゃないでしょうか。
そんな時はきっと走り続けてしまっていた証拠。
本当はやっていることから離れてみること。
こういうことこそ本当は大事なことなんだということを改めて思いました。
確かに私も将棋の香車みたいに一直線にしか進めないことが多いのですが、やってることから離れてみたり、違うことをやってみると見えてくるものがあったりします。
寝かせて良くなるということもあるし、無駄な回り道に見えてその無駄な回り道が後で役に立つこともある。
無駄なことなんて実はないということなんだなと思いました。
確かに、文字を書く時もずっと書き続けるわけじゃなくて、はらいもあれば止めもあるし、字は詰まっているよりも間がある方が綺麗に見えます。
私の好きな将棋も攻めている時も攻め続けるだけじゃなくて、一手休んで相手に手を渡したほうが良いということがあるので、休むことすなわち間を取るということも大事ということなんだろうなと思います。
そして、完璧なものよりも少し欠けてたり、見映えが悪いものの方が味があったりと寄り添いやすいということを教えてくれました。
真っ白の世界は何もなくて、それだけだと汚れることはなくても決して輝くことはない。墨を足して黒をいれることで白の余白は輝くという水墨画の話を通じて、白いまま置いておくというのではなく、どんどん汚していけば良い(どんどん失敗して良い)んだなと思いました。
最後は息をするのも忘れて読んでしまってのもそこまでにたどり着く過程があったからこそだと思います。
そして、私も私なりの自然を生きていきたい。
それは常に手探りかもしれないですが。
※ブクログに掲載した感想を転載しております
失敗することを恐れてはいけない、休む勇気をもつなど誰もが悩むことを水墨画を通じて気づかされる作品です。
続編ですが、読んでいて本当に良かったなと思う作品でした。
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