令和6年1月2日に100回大会を迎える箱根駅伝。
そんな箱根駅伝が戦時中に中止になっていた?
箱根駅伝を戦時中に開催したい、戦争に行って死ぬならば、最後に箱根を走りたい、そして、戦争が終わって箱根を復活させたい。
そう願った人々の想いと100回大会に向けて予選突破を目指す、箱根をかつて4連覇した伝統校日東大学の駅伝部監督達の現在が交錯しながら織りなす物語です。
私は正月になるとテレビで箱根駅伝を見ています。
走りたいとは思ったことはなく、関東の大学にも行っていないし、憧れたこともないですが、正月と言ったら箱根駅伝を見るのが好きという見る専です。
1位がそのままぶっちぎるのも見てみたいし、逆転劇も見たい、2区や5区の何人抜きとかも見ていて面白いですよね。
そんな箱根駅伝を生まれて物心ついた頃から当たり前のようになんとなく見ているものでしたが、本作を読んで見方が変わりました。
令和6年で100回大会を迎えたということは、この箱根駅伝というスポーツ行事は戦争を経験しているんです。
戦時中は開催できなかったり、あの手この手を使ってなんとか開催にこぎつけた回もあったんでしょう。
その開催にこぎつけるまでがどれだけ大変だったか、そして、戦時中に箱根を走ったランナーがどんな想いで戦争に行ったのか、そんなこと、想像すら今までしたことなかったなと思います。
当時、大学生まで上り詰めた彼らは頭脳もエリート級のはずで、戦争に行くということがどういうことなのか、普通の一般人よりも遥かに理解していたはずで、出兵前にどうしても走りたいのが箱根駅伝だった。
そういうことに思いもを馳せることもなく毎年箱根駅伝を呑気にみていたんだなぁと思いました。
私にとって箱根駅伝は各大学のランナーが全員でタスキをつなぐ競技で、もちろんどこが優勝するというのを見るのも面白いですが、シード争い、タスキが最後までつながるかなどを楽しむものだと思ってました。
これは昔からそういう競技なんだなと。
確かにそれはそうなんだろうなと思った反面、そういう見ていて面白いものだったことがずっと続いているということに先人の努力が隠れていたんだなと思いました。
もう、戦時中の箱根駅伝に関わった方はほとんど生きてはいないです。
しかし、そんな彼らの想いは箱根駅伝を重ねても色褪せずずっと続いていて、これからも続いていく。
彼らから受けとっているタスキがこれからも繫がって未来にもあるよう願いたくなる、そんな作品だと思いました。
※ブクログに掲載した感想を転載しております
毎年1月2日の箱根駅伝を見ている私ですが、そこを走る箱根のランナーの思いは全く知らずにいました。
100回も受け継がれているタスキ。
ランナーが箱根に憧れ、ランナーとして引退するのもほとんどが箱根。
その舞台を走れるというランナーはほんの一握りだということを改めて知る作品でした。
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