この前、部屋が狭くなってきたんで大量の荷物を処分した。
こうやって荷物を整理するたびに、つくづくこう思う…
「人間はヤドカリだ。」でっかい貝をかついで生きている。
背中の貝は大量の荷物だ。
どうしても捨てられない大事ものから、生活の日常品、どうでもいいけどなぜかあるもの
シャツ、靴下、、、、タバコの穴が開いたトレーナー、、
鍋、フライパン、パスタつかみ、、
布団、枕、タオル、、
20年前の週刊ゴングのバックナンバー、、、、宮沢りえの「サンタフェ」、、、
中学時代に録音したストーンズのカセットテープ、、
この前友達の引っ越しの時は、ヤツに大量のレコードを運ばされた。
「これには大事な思い出があるから、捨てられない」
そういう風に感じられる人はココロが豊かな人だと思う。本当に、、。
でも「思い出」も脳の一部を使う、機能のひとつかもしれないな。
やっぱりモノはモノでしかない。
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特に持ち主が死んだ後、残されたモノになんの意味もない。
こないだ親族が死んだ時に痔の軟膏薬60箱でてきた。ずっと前に手術して痔は直って必要なくなったんだと…
「つーか!痔の軟膏、まとめ買いかよ?それにしてもおおくねえか?(泣)」
、、、、、
、、
easternyouthの歌は「あー馬鹿でかい暮らしの怒鳴り声え~、売り払えばもの悲しくも安らぐ命いい~ー」だっけ?
、、、
本で読んだけど、ある作家はホテル暮らしをしていて、ほとんど荷物を持たない、余分な服は持たない、靴ははいてる1足だけ、はきふるしたら捨ててかいかえる。だからすべての荷物は片手でもてるほどしかない…そんな話だった。
そんな生活スタイルできたらある意味気持ちいいだろう。死んだ後も後片付けが簡単だ。
まあなんつーか、
イロイロいってきたけど
要するに
荷物整理するときに
「これ捨てようかなあ…とっておこうかなあ…でも部屋が片付かないし…やっぱり捨てた後後悔したりして…」なんてウダウダ考えて、ウダウダ時間ばっかたってしまう。
「そんなコトでウダウダするなら全部すてちまえばいいじゃねーか!アホが!俺!」ってこと。
捨てて後悔する時がきたとしてもどうせ死ぬんだぞ!俺!
そう言い聞かせて、こんど週刊ゴング(天龍革命、UWF親日業務提携時代)を捨てよう…。。