じんべえ時悠帖Ⅱ

峠越えして久留里城へ

 昨日は買い物がてらの夕方の散歩。ほゞ半月の七夜の月に

続いて沈む夕日を撮ると、何と富士が! もちろん肉眼では

全く見えず、後で気付いた次第。何か徳をした感じである。

 

 さて、千葉の観音札所全七山を結願して、高倉観音近く

のオークラアカデミアパークホテルに泊まる。GO TO で

割安な上、三千円のクーポン券が付き、早速フルコースの

ディナーのワイン代となる。

 翌朝は南東向きの最上階から日の出を眺め、滝山水の

庭園を見ながらの朝食。

 リッチな打ち上げの一晩を過ごし、いざ鎌倉へではなく、

いざ久留里へ。戦国時代の里見氏の居城であった久留里城

が目的地である。

 昨日下った高倉観音の参道を眺めながら一路東へ向かう。

高倉館音行きのバスの終点「草敷」の先は、今日も坂道で

ある。

 歩道はなく、十八輪、二十輪の超大型ダンプが通るり時は

路肩に佇んでやり過さないといけない。

 前から来るダンプの頭だけ見えるようになって峠道を

上り切ったようだ。下り道の途中の三差路に現れた白馬

と侍?兵士?「太東」は外房、清水(キヨミズ)寺の最寄り

駅、長者町の隣り駅だったが、はて「大東」は何じゃ。

 この小公園で休憩してから更にダンプが増えた道を下り

続けると県道23号線は君津市に入る。と、その先で「大東」

の謎が解ける。

 やがて杉を伐採しているところ、カメラーのメモリーが

一杯になり交換。年輪から見ると数十年ものの大きな杉の

木だが、ひょっとして去年の台風15号で倒れたか。

 ちょうどいい、陰から聞こえるチェーンソウの音を聴き

ながら一服休憩とする。この輪切り丸太、作業員の誰かが

何かに使うつもりで切ったのだろう。

 急カーブを曲がった先、道端の落葉をカサカサと鳴らし

ながら小鳥が必死に歩く。傷を負っているらしい。雀か、

いやトサカと眼の上の白さはヒバリかもしれない。

 私の足音に道端を必死に逃げながら、やがて道の下の茂

の中に転げるように落ちて見えなくなる。私もずっと待つ

訳にはいかない。無事に傷が癒えることを祈って先に進む。

 「久留里」への標識の先、やっと小さな脇道に入る地点

となる。身の危険を感じたダンプ街道とお別れし、久留里

線の小櫃駅に向かう。このまま行くと6,7キロで久留里に

着くが、1時間を稼ぐため久留里線に二駅だけ乗る。

 長閑な田園地帯を約2キロ、一時間に1本あるかないか

のローカル線に間に合うべく「真面目に」に歩く。

 これは小櫃川。

 11時48分発の久留里線下りぎりぎりに着いた小櫃駅、

うーん、何とも可愛らしい駅舎である。

 久留里駅到着以降、久留里城までの様子は次回。

 

 

 

 

 

  


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
確かに絵や写真は文を補って余りある媒体ですが、それに頼り過ぎると
文が疎かになる、なんて生意気なことも思います。
神官などのご解説、まことにありがとうございます。
長年の疑問が解けました。
えめ
明治43年に旧制飯田中学校に通っていた父が、京都帝国大学生の兄とふたりで木曽谷を旅した長い紀行文がありますが、このように写真があったらなあと惜しまれます。鳥の写真が印象的です。お尋ねの[神官]という言葉は国家神道の頃に使われたもので、今では死語です。ただ会話の中で、私は[神官さん]と呼ばれています。宮司は宗教法人の代表者で、禰宜は次席。但し大きな神社では、宮司・権宮司・禰宜・権禰宜の順になります。
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