新聞の土曜版の週替わりエッセーで、山田洋次映画監督の
「夢をつくる」が始まった。その冒頭で「情けないことに、
白髪頭の僕がいまだに試験前に勉強しなくて落第しそうになる
夢をみる」と語っている。
これ、よくわかる。私も同じような夢を見るからだ。
私の場合は、期末試験を受けに行くのだが教室がわからない。
試験開始時間が迫ってもあちこちウロウロするだけ。
それもそのはず、その授業に出たことがなかったからだ。
「あー、夢か」と目が覚めてホッとする。
「素敵な夢なんて、人はめったに見ないのではないか」と
山田監督は続けるが、その夢をつくるのが映画監督の仕事。
「寅の一生は夢みたいなもんだ」と御前様(笠智衆)に
語らせたのも、「夢」にこだわる山田洋次ならではある。
日光街道ウォークはいよいよ宇都宮宿へ。日光街道は県道
119号から更に左に入って行く。江戸のはじめ、宇都宮城主、
本多正純が奥州街道・日光街道をつけかえたという。
その口碑があるのが分岐点にある不動堂。昔から宇都宮に
入る目印だったという。
この先で東武宇都宮線を潜るあたりに宇都宮宿の入口の
木戸があった。そこにあるのが蒲生君平の「勅旌碑」。
歴代天皇の御陵が荒廃しているのを嘆き「山陵志」を著して
修復を説いた尊皇派の儒学者。
明治天皇が、明治維新に功績があった偉人として「広く
世に知らしめよ」と勅令を発したので「勅旌」である。
「旌」には褒める、表彰するの意がある。
休憩出来る東屋と間違えた中に「忠節蒲生君平里」の石碑
がある。
宇都宮宿は四町(約4キロ)も続く大きな宿で、本陣2、
脇本陣2、旅籠五十余り、宿内人口6千人という大きな宿。
昔から目印だったという大ケヤキが聳える。
時間が早いので左手奥の報恩時、一向寺に寄る。報恩寺の
茅葺の山門は火災を免れた江戸時代のものという。
約2キロで日光街道は裁判所に突き当たり、JR宇都宮駅
から伸びる大通りへ右折。すぐに奥州街道と日光街道の分岐点、
追分となる。
この追分あたりが伝馬町で上野家本陣があり、奥州街道を少し
行った池上町に石塚本陣があったという。日光街道に曲がると
黒壁の土蔵は「株式会社上野」、ここだろうか。
宇都宮宿の終わりあたりが桂林寺。かの蒲生君平の墓が
あるというので入ってみるが結局わからない。蒲生君平が
少年時代に修学したという近く延命院の地蔵堂は宇都宮市
最古の木造建築という。
桂林寺前から次回、徳次郎宿のへの日光街道を眺める。
1キロ半先で再び県道119号となるまでは街道らしい細い
道が続くようだ。
帰りの東武宇都宮線のターミナルである宇都宮東武百貨店
に向かう。坂東三十三観音の中禅寺(立木観音)、大谷観音の
後で泊まったホテルがこの近くだったので「土地勘」あり。
東武百貨店8階の海鮮系食事処で宇都宮の街を眺めながら
一人打ち上げをし、地下の食品売場で一番人気の宇都宮餃子
「みんみん」を土産に2時間半の帰途に就く。
今回(19日)の日光街道ウォークを終わる。