日本でも世界でも、新型コロナウィルス感染がジワジワと
拡大する。カリフォルニアでは、700人以上の感染者が出た
ダイアモンド・プリンセス号の姉妹船でも下船後の感染死者
が出たという。
一方、国内ではライブハススなど狭い空間に集まった若者が
感染し、各地に帰って周囲を感染させるという模式が繰り返し
報じられている。
そういう意味では混み合った電車に乗ることもちょっと気に
なるし、高齢、持病持ちでもあるが、そんなことは振り切って
今年の中山道ウォークを始動。
それでも、少しでも空いた電車にと早朝の出発。9時前には
昨秋のゴール、高崎線の神保原駅に着く。途中で青空が覗き
始めたものの予報通りの強い北風の中を歩き出す。
今日は神流川を渡りいよいよ上州路。新町宿から倉賀野宿
へも足を伸ばす予定。
埼玉県最北端の町、上里(今は本庄市)、大型店やショー
ルームの撤退が目立つ。いずこも一緒だが、みな鉄路の駅から
遠い国道沿いに移ってしまう「車時代」である。
ちょうど1キロで、その国道17号を横切る。
旧中山道に車は少ないが、広い歩道が度々途切れるのも
困りもの。このあたりも広い敷地の大きな家が多い。
今日最初の立ち寄りスポットは陽雲寺。旧中山道から少し
入ると広い境内が広がる。境内には広い墓地や雑木林、竹林
などがあり、供養塔や古い石塔類も多い。
陽雲寺は、鎌倉幕府打倒を目指した新田義貞が建てた不動堂
が基と言われる。その新田義貞の重臣、畑時能が越前で戦死し、
その首を持ち帰った児玉光信と共に葬られるのが「畑児塚」。
山門のないこの寺の入口に建つ。
天正時代、このあたりを一帯を領地とする金窪城主となった
川窪信俊は、養母である武田信玄夫人を同伴しこの寺に住まわせ、
夫人はここで没したという。
境内を一通り回った後、このお誂え向きの場所で休憩。
酒はないが、これも一種のチェアリングと言えよう。
旧中山道に戻ると廃れた門の奥、竹林が広がる。神流川の
戦いで焼ける前はここが入口だったのだろう。結局、陽雲寺
に30分も「滞在」してしまった。先を急ぐが向かい風が何と
きついことか。
赤城連山の上は今日の空の荒れ模様を表す。民家の庭先の
黄梅に束の間の癒し。
黄梅とは対照的な風景の廃屋が強風にギシギシと不気味な
音を立てる。今日は飛来物にも気をつけよう。
このさきで旧中山道は国道17号に合流。この先はもう武州、
上州の国境、神流川である。
まだ出発して3キロだが風に抗う足がバテ気味。続きは次回。