「町には一面に轟々と音を立てて火炎が空高く
噴き上げているのに、電車がひっそりとホーム
に入り発車してゆくのが奇異に思えた。」
これは昭和20年4月、城北大空襲で自宅を失った作家の
吉村昭が夜明けの日暮里駅で見た光景を書いたものである。
「鉄道関係者が沿線の町々が空襲にさらされているのを
承知で定時の運転を指示し、運転手もそれに従って電車を
車庫から出したのだろう」と続く。
(朝日新聞土曜版「歴史のダイヤグラム」原武史)
そして、令和2年の春、新幹線の臨時ダイヤを除いてJR
などの鉄道は、やはり日常通り運転されている。
当然、緊急事態宣言下の外出自粛で電車はガラガラだ。
減便すると却って乗客が集中し「三密」になるから、という
のが理由だ。
日夜、まさに「命を懸けて」奮闘する多くの医療関係者と
共に鉄道関係者、特に運転手、車掌さんにも感謝しよう。
と言っても、この一ヶ月は全く乗っていない。、
そして、この春ほど近所を散歩したことはないだろう。
自宅から概ね半径1キロほどの街路沿いに咲く、春の花木や
花たちの場所をほゞ覚えてしまうほどである。