女子スピードスケートの小平奈緒が有終の美を飾り引退した。
肉体的なピークは平昌五輪だったかも知れない。数日前の紙面インタ
ビューに印象的な言葉があった。
『ある日「足で力を出す」から「氷から力をもらう」に変わった。
平昌五輪では体が自動的に氷と一体化した感じがした』
まさに「神の領域」である。一貫して中学の時に師事したコーチに
ついた。信念は変えない、筋の通ったスポーツ・ウーマンだった。
さて、秩父館音巡りは三日目の後半。ほゞ秩父の街中の六山である。
札所巡りマップにオレンジ色の線と矢印で示したのがその行程である。
この線で上塗りしてしまったところもあるが、点線は江戸時代の巡礼
古道で随所に標識が設置される。秩父札所連合会、いい仕事である。
まずは十二番野坂寺から北に向かい御花畑駅に近い十三番慈眼寺へ。
寺名の通り「眼病平癒に功徳あらたか」。七月八日の縁日には多くの
露店が並び秩父の風物詩といわれる賑わいと言う。
内陣脇に下がる左右一対の天女(観音)絵や、格子天井に描かれた
絵などが特徴である。境内手前の補陀所、境内の経堂覗いて慈眼寺を
後にする。
十四番今宮坊はその手前にある今宮神宮とセットである。江戸時代
の古図によれば、修験道の本山、聖護院の直末、長岳山正覚院金剛寺
の境内に龍神を祀る今宮神社、観音を祀る今宮坊があった。
明治十一年の秩父大火の折に、広い敷地に被災者が移り住み道路が
造られ、神仏分離施策もあって今の姿になったという。
700年頃、この地に八大龍王を祀ったという役行者(エンノギョウジャ)が
開祖、825年には弘法大師がその役行者に報恩護摩供養を行ったという。
境内に一際目立つのは樹齢500年という大ケヤキ。
今宮神社の西ある観音堂である今宮坊は極めて狭く簡素である。
十五番少林寺は秩父鉄道脇にあり、東へ戻るようになるため最後に
回して、今宮坊から北に1キロ弱の十六番西光寺に先行する。
西光寺の札堂は本堂が出来る前の観音堂で、秩父札所最古の建造物
である。巡礼者が打ち付けた木札の釘跡が無数に残る。札所(観音)を
回ることを「打つ」というのはここから来ている。
西光寺は秩父札所では珍しい真言宗豊山派。弘法大師像がが立ち、
何といっても四国八十八ヶ所の本尊(模像)が並ぶ、境内を囲む様な
「回廊堂」が圧巻。入口の踏み石と共に、ここで八十八ヶ所の御利益を
受けられるいう。
長くなったというよりも遅くなったので、続きの十七、十八、十五番
は次回となる。