じんべえ時悠帖Ⅱ

千葉とかいてセンヨウと読む

 「池の中に茎一本に花二つ開き、千葉の青蓮華あり・・・」

和銅二年(709)行基がこの地を訪れ、この瑞兆を見て丈六

の観音像を刻んで安置した。

 その後、聖武天皇から海照山(現在は海上山)千葉寺の

寺号を与えられて観音堂を建立し栄える。千葉(センヨウ)寺

の縁起である。

 

「大網街道」の坂を上り切った三差路の交差点に千葉寺は

建つ。昨日「大祠街道」と書いたのは間違い。「網」の字

の上に信号機マークが重なって見間違えた。 

 千葉駅からここまでは約3キロ。信号の手前の墓地脇を

入ると本堂(観音堂)の真横に出る。仁王門からの正規の

ルートではないが、いつものことである。

 奈良時代の伽藍配置と言う諸堂は永暦元年(1160)の

落雷で悉く焼失。江戸の後期に再建された豪壮な観音堂

も戦災で焼失。仁王門と鐘楼だけが残った。

 現在の本堂(観音堂)は昭和51年(1976)の再々建で

桃山式の鉄筋コンクリート造。 

 この観音堂前に立つ大銀杏は創建時に植えられたものと

言われ、目通り(幹回り)8メートル、樹高は30メートル

で、鎌倉の鶴岡八幡宮の銀杏より大きいという。

 ベンチに座って休憩すると、目の前に一枚だけ残った

銀杏の葉が横たわる。偶然としては出来過ぎである。

 仁王門脇の鐘楼と紅葉を眺めてからその仁王門を潜ると、

確かに古い門である。彫り物も素晴らしく、朱泥の仁王は

今にも動き出しそうである。

 正面から仁王門を見るには交通の激しい大網街道わ渡ら

なければならない。

 きっとこの急坂が昔の参道だったのだろう。

 そのまま下って一度クランクすると今度は「巡礼街道」

と呼ばれる坂道になる。その先は京成千原線の「千葉寺」

駅で、一番の最寄り駅。

 この坂の途中の小公園で休憩し、ちょっと渋い紅葉を

愛でてから2キロ先のJR蘇我駅に向かう。木更津から

次の高蔵寺(高倉観音)へ向かう様子は次回。


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
あちこちの寺で「開祖」と言われる行基ですね。
入試では世界史を取りましたので今「日本史」を勉強中です。
えめ
立派なモニュメントを拝観させて頂き、ありがとうございました。ただ、[行基]さまについては、入学試験で時代別に区分けせよという問題に失敗したので、はらはらしました。
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