じんべえ時悠帖Ⅱ

径山寺は金山寺なり

 十三世紀、中国の径山(キンザン)寺で修行した和歌山の

僧侶が持ち帰った味噌の製法。その過程で出る上澄み液を

舐めたところ意外な美味。これが日本の醤油のはじまり。

 和歌山のJR湯浅駅前には、「日本遺産 最初の一滴

醤油醸造の発祥地」の看板がある。金山寺味噌の生産が

盛んな町である。

 明治十八年創業の丸新本家、約三十年前に金山寺味噌の

たまりから醤油を作る製法を復活させ「九曜むらさき」と

名付けて売り出したのが五代目の社長。

 本場中国の径山寺では、金山寺味噌のオリジナルの製法

が廃れてしまったので、協力して復活の道を探っている。

食の先輩に恩返し。

 もっと古く縄文時代から作られていた「比之保(ヒシオ)」

は、いろいろな食物の塩漬けから出来る調味料。代表的な

ものは魚醤であろう。

 有名な秋田の「しょっつる」はハタハタ、北陸にはイカ

やイワシから作る「イシリ」があり、深い味わいが好きで

あるが、なかなか奥方には使って貰えない。

      (参考:朝日新聞土曜版「はじまりを歩く」)

 

 昨日は日の出を狙って江戸川を散歩。

西の富士山方向をみていたら陽が昇っていた

 土手下の新し橋の橋台工事、穴の底に杭頭が整然と並ぶ。

これを毀して鉄筋を出し、橋台の鉄筋と繋ぐ。作業は暑い

昼間ゆえ、進んだ頃、また早朝に見に来よう。

 


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
街中は別にして、土手道を歩く人は・・・、いやいや同じですね。
みんなが寝ている頃にフラフラ歩き回るのは確かに変質者です。
jinbei1947
ワイコマ様
味噌も醤油もブランドには拘りませんが、何となく味噌は長野市の
マルコメ味噌、
醤油は野田のヤマサに落ち着いていますね。
あとは土産であちこちの「拘り」ブランドを楽しみます。
えめ
金山寺味噌もヒシオも、私にとっては[歴史的食品]になってしまいました。ところで、「明け方には[変質者]が居るから、出歩くな」 と 高等女学校で教えられました。
ykoma1949
日本の調味料の代表的なもの、以前から塩や醤油はいつも
欠かしたことはありません、味噌は信州味噌、醤油は地域
のヤマニ醤油、いつも買ってから一ヶ月以上は地下蔵保存
塩味噌醤油はいつも地下蔵の分が予備、大切な食材です。
金山寺味噌は知りませんでしたが・・息子は今も味噌は
信州味噌を使っていて醤油はフンドウキンを使っている
調味料文化も・・歴史の中にありますね~
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