張り手の応酬はまるでボクシングの試合のようであった。
「強いから勝のではなく、勝ったものが強い」が横綱白鵬
の信条だと言う。
ここ何年となくモンゴル相撲に席巻された日本の大相撲
はどこへ行くのだろうか。栃若世代としては「横綱の品格」
なんて言葉がつい浮かんでしまう。
さて、法政大学の総長を務めた「田中優子」、いよいよ
花開く時。「江戸の想像力」を脱稿して、予てから執筆を
勧めていてくれた筑摩書房に原稿を預けて北京大学に交換
研究員として赴任。
帰って来ると「江戸の想像力」は大フィーバーしていて、
芸術選奨新人賞を受賞。次の執筆依頼も押し寄せ、やがて
江戸ブームの仕掛け人とまで言われた。
その一方でこれは学問ではないと予想通りの批判が出た。
上田秋成、平賀源内、対照的に見えながら共通する、権威に
とらわれない世界観を一方の柱にし、博物学や浮世絵、貿易
など多領域に渡り、専門の近世文学の本ではなかった。
唯々エビデンスを示すのが主眼で、時代感や思想を示さず、
狭い専門領域に縛られる「研究」と何なのか。狭い枠の中で
粛々とやるのが正当な学者だとするなら、自分は「ちゃんと
した学者」でなくてもいい。今も「ぶれない」人である。
この後は、和装の人と呼ばれる「布」の研究者、「春画」
の研究者、「連」の研究者などの多面的な顔を持つ田中優子
の経歴が続くが一旦中断しよう。
と言うのは、「江戸の想像力」が市の図書館にはないので
現在取り寄せ中。多面的な顔を持つ田中優子の「出発点」を
確認してからその後を紹介しよう。
早朝の日陰散歩、県道から三郷駅前からの中央通りを北へ。
日の出直後なのでとにかく陽射しは真横からである。
24時間営業の「BigA」
駅前を振り返る、土曜なので草加流山線の車もまばら
早稲田団地が始まる
撤退したファミレス跡、「募集中」が消えた
店名「520」の意味がわかった
とにかく日陰は涼しい
家に戻る交差点
その先は団地の終わり「八丁目」
江戸川方向、前も後ろも「ユリの木通り」
約3キロを1時間弱の、のんびり散歩を終わる。