フタを開けても下馬評通りの「自民全敗」。金権体質と
コロナ対策不手際への鉄槌と言えよう。
生まれ故郷の長野県の参院補選も予想通り、兄雄一郎氏
の弔い選挙となった羽田次郎氏が、自民小松氏を押さえて
当選した。
NHKweb版で選挙区(市町村)別の開票結果を見ると
羽田氏が全県的に勝っているが、小松の地元である諏訪市
以外でも、県北の飯山市、栄村、東信の県境、川上村、南牧
村などで小松氏が羽田氏の得票を上回った。
諏訪清陵高校、信州大学医学部卒で医師である小松氏ゆえ、
ひょっとしたら「辺境医療」で知名度が高かったのか、と
勝手な想像をしてみる今朝である。
さて、水戸街道完歩の翌日は水戸観光。一日乗り放題で
格安なバス乗車券もあるが、ウォーカーとしては、やはり
歩いて観光である。
朝食までの早朝、ホテルに近い水戸城址を一回りする。
泊まった水戸京成ホテルのすぐ北側が弘道館跡で、その
右手が水戸城址である。
要所要所に立つ看板の地図にルートを示す。一回りで
約3キロの早朝散策である。この中には小学校二つ、中学
一つ、高校二つと五つもの学校がある。
出発が日の出少し前の4時45分、写真は全体に暗くなる
ので、雰囲気が壊れるが明るく調整してある。
まずは弘道館跡にある三の丸小学校、二ヶ所の入口は
豪快な冠木門である。
その白壁の塀沿いを歩くと弘道館の入口、もちろん開場前。
チェックアウト後に観る予定。道路の向かいの家は皆大きい。
やがて右手の橋の奥に大手門、太い部材は二尺角もある。
橋の下はもちろんお濠、深い底には水戸駅から那珂川への
道路が走る。
大手門を潜ると三の丸城内、早速「桝形」のクランク。
実際はもっと暗く、照明が目立つ。
両側には茨城大付属小、水戸二中、水戸三高と続く。
ここで茂みの上に陽が昇る。
小さな杉山門の脇から下る「杉山坂」は急坂である。
その先が本丸(ご本所)への橋。その下の濠跡には水郡線
が走る。
橋の先が水戸一高で、名勝「水戸城薬医門」は閉ざされた
門の奥、遠望で我慢。茨城出身の学生時代の友人は四人とも
押し並べて水戸一高出身、茨城一の名門である。
ここで引き返して杉山坂を下り、那珂川沿いへ向かう。
冬の雪道は上るのが大変だろう。振り返る杉山坂、比高は
10mあまりか。
城跡の下を200mほど歩くと那珂川の水府橋に出る。
ここから再び坂を上り弘道館跡に向かう。三差路の左手
は大手門下の水戸駅に向かう道。
右手の官庁街の反対側、弘道館鹿島神社に向かう。
高層マンションの左に覗くのが泊まったホテル。弘道館
の跡も梅の名所であるが一ヶ月遅かった。
この弘道館鹿島神社は、昭和49年(お、私が結婚した年)
の第六十回伊勢神宮式年の折、外宮「風日祈宮」を特別に
移譲された社殿で伊勢神宮以外では「唯一、神明造り」と
書かれる。伊勢神宮は天照大神、女神である。
ホテル側に突き抜け出来ると思ったが清掃中の宮司さん
に訊くと入って来た道を戻るしかないと言う。旧茨城県庁、
県立図書館、水戸警察署と回ってホテルに戻る。
旧県庁(今も三の丸庁舎)の駐車場の隅の北柵御門。
交差点の奥、水戸市低区配水塔。現役なのか遺構なのか。
水戸警察署、何故か犬が吠え続けている。
約3キロをのんびりと1時間半、ホテルの裏に戻る。
さあ待望の朝食だ。