三回目の緊急事態宣言開始、三つの国会議員の再・補欠
選挙の投票日の今日だが、あのJR西尼崎線脱線事故から
十六年目の日でもある。
安全第一を怠ったJR西日本幹部の責任は、二度の起訴
でも無罪となった。この事故で大学に入ったばかりの愛娘
を失った友人は、JR西日本の安全体質が変わったと認識
出来るまで、補償交渉は行わないと決めていた。
慰霊式や追悼行事はコロナ感染で二年連続中止となった
と報道される。遺族にとって心の傷が癒えることはない。
さて、水戸街道を歩き終え、約2キロ先の水戸駅北口の
ホテルへ向かう道も水戸観光の一環である。
備前掘を渡る銷魂(タマゲ)橋の袂に「江戸街道起点」の
道標が立つことは昨日紹介した。水戸から見れば江戸(へ
向かう)街道。江戸から見れば水戸街道である。
街道を挟んで「高札場跡」の石碑も立つ。ここが当時の
水戸の街の外れで、水戸宿は、北へ百メートルほど行った
交差点から始まっていた。
今は「ハミングロード」という商店街。街頭スピーカー
からポップな歌が流れるのはちょっと煩いが、裸婦などの
ブロンズ像や石製の休憩処などで整備された趣のある通り
である。
向かいのシャッター絵のカメラが裸婦を狙っているようだ。
約五百メートルのこの通りの最後に「陸前浜街道」の
起点標が立つ。「宿」を含めれば水戸街道の終点・起点
はここと言った方がいいかも知れない。
この通りを戻ってから大通りを渡り備前堀沿いを歩く。
水戸藩初代藩主、徳川頼房の命で関東群代の伊奈備前守
忠次が造ったので「備前掘」。
農業用と千波(センバ)湖の洪水対策が目的というが、
伊奈忠治と言えば「見沼代用水路」など関東各地の大型
土木工事に必ず出て来る有名人である。
備前掘が桜川に出たところの口碑に、昔の備前堀の絵が
掲げられる。
桜並木の桜川の土手を1キロ近く歩くと水戸駅の南口に
向かう駅南大橋に出る。
常磐線で何度か通過しただけの水戸駅は大きな都会的な
駅である。
エスカレータで上がった広場では放課後の高校生などが
三々五々椅子に座る。
長いコンコースを歩いて北口に向かう。改札の隣りが
観光案内所。水戸の見どころの地図やパンフレットなど
をゲットしてからホテルに向かう。
次回は翌日の観光の様子である。