天気予報が外れ昨日からの雨が止まず、秩父鉄道の大野原駅から
一番札所、四萬部(シマブ)寺まで歩く予定を変更、午前9時に西武
秩父駅に着く。予定は未定、気ままな一人旅である。
思えば十数年前、初めてのシリーズ・ウォークである琵琶湖一周
の初日も雨だった。天の祝いと思おう。路線バスで四萬部寺近くの
バス停に着き、緩やかな坂道を上り始める。四萬部寺の手前、八坂
神社の鳥居下から札所巡りの安全を祈る。
四萬部寺に着くと、昔は数軒あったという門前の旅籠の一軒が残る。
小さな山門の千社札を見て、財布に千社札の残り2枚があることを
思い出し、女性たちの札の脇に貼る(苗字ボカシの青い札)。最後の
一枚は結願寺、三十四番の水替寺で貼ることにしよう。
この千社札は京都赴任時代に作ってもらったもので、祇園の舞妓さん
や芸妓さんが名刺代わりに使う千社札とほゞ同じ作りと大きさである。
一番札所の四萬部寺は、性空上人の弟子、幻通が四万部の経典を
読誦し経塚を建てたのが寺の起こりと言う。本堂(観音堂)は秩父
祭屋台や寺の建築で有名な藤田徳三郎義久の建造。
江戸末期に補修され、現在のものは明治の再建である。大きくは
ないがガッシリとした重みのある堂宇である。
観音堂右手に建つ「施食殿」は関東三大施餓鬼が行われた建物で、
施餓鬼専用のお堂は全国的にも珍しいという。大きな庫裏は江戸末期
の建立と言う。
雨は降り止まず、ザックカバーを付け傘を差す。二番札所真福寺へは
2キロ強。前半はのどかな田舎道だが、後半は高篠山(665m)の中腹、
標高400mまで上る坂道。比高は200mを超える。
COPDの肺から酸素が届かず悲鳴を上げる脚に鞭打って、2キロ強を
1時間かかってやっと着く。駐車場からの不揃いな九十九折の石段を
上がると、無住の寺、真福寺である。縁起は本堂脇の絵図で。
汗びっしょりになったのでパーカーや帽子を取って涼んでから、
お堂正面の階段に座りコンビニおにぎりの昼食。と、年老いた父の
手を引いた娘さんが現れる。もちろん車で来たのだろう。
カメラを構えるのでバタバタと荷物をまとめ脇に避ける。参拝後
丁寧にお礼を言って石段を下る父娘を見送ってから、お堂の裏手で
一服とする。これがまた美味いのである。
上りとは別の道で三番札所へ向かう。当然上った分だけ下る訳だが、
上りより短い距離で一気に下るので、まさに落ちていくような急坂。
膝をかばって上りと同じに斜行する。
急坂を降り切った先は大棚川の渓流沿い。雨は上がり気味で爽快な
ウォーキングとなる。無人の真福寺の納経所である光明寺への分岐点に
出るが当然パス。御朱印は集めない不信心ものである。
後半の三番から五番は次回である。