じんべえ時悠帖Ⅱ

関東大震災99年、防災の日

 六歳と四歳だった我が両親(いずれも故人)は、千曲川を

挟んだそれぞれの生家で竹藪に避難したという。大正12年の

今日、関東大震災が起こった。

 救援物資として信州から大量の味噌が東京に送られたのが、

信州味噌が全国に知られるきっかけと言われるが、その昔、

武田信玄が兵糧としてつくらせた「川中島溜」が信州味噌の

起こりとも言われる。まさに「戦時の味噌」である。

 棒読みで全く覇気のない岸田首相の防災訓練の記者会見。

さしものNHKも途中で中継を打ち切った。

 

 さて、先月の歩数は一日平均で一万歩にちょっと足りず、

距離換算では約185キロ。和歌山市の少し手前、湯浅町まで。

第三ステージのゴール、大阪まではあと150キロ。今月末に

着くだろう。

昨夜は晴れて三日月の翌日の月(三日月半)

昨夜は久々の熱帯夜、眠い早朝散歩で日の出を拝む

建設中の橋への作業階段

出た陽はすぐに上の雲へ

 来春開通の新しい橋、下からは様子がわからなかった橋の上。

市政報告の写真で判明。歩道(自転車)部分がこんなに広い?


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
コロナのお陰で飲み会がほゞ無くなり、小遣いに余裕が出て来ました。
と言っても一回旅行に出たら終わります。
jinbei1947
ワイコマ様
江戸時代は次から次と大火が起こり、その都度元気に復興するパワフルな
時代でしたね。
2Lの空きペットボトルに水道水を詰めてストックするようになりました。
えめ
コロナのお蔭で、色々なことが変わりました。合理的で良くなったことが、沢山あります。お祭りの段取りなども、古いしきたりを破って合理的になりました。コロナが収まったら、一度諏訪へ集まって戴きたいと思って居ましたが、それまで生きていられるかどうか。皆様お元気でいらして下さい。
ykoma1949
関東大震災については、近代史の書籍の内容
でしか知りませんが、その記憶も半分以上喪失
その後も相次いで起きた、阪神淡路、東日本など
災害は忘れた頃に、決して忘れずにやって来る
次の瞬間かも知れないし、来月かも知れない
防災の日の信州は雷が走り回り、雨が降ったり
止んだり、私の町の防災訓練はまだ先ですが
コロナが毎日百人以上では、また中止かも
冷えた弁当の会議も広い会場に数人の集まり
帰りたくなります。
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