じんべえ時悠帖Ⅱ

安曇野と豊野、食べ比べ

 昨日、三郷市商工祭に行って来た。以前は「商工農業祭」

言ったはずだが、いつのまにか農業が取れた。

 お目当ては信州安曇野のリンゴ即売会。旧三郷村時代の

「三郷」繋がりから始まって今も続いている。早朝からの

整理券配布には長蛇の列が出来る人気即売会である。

 もう一つ列が出来るのが、上の写真にも最後尾の看板が

写っている、福島県広野町の「突きたてあんころ餅」の無料

配布。こちらは、3.11の復興支援以来の繋がりである。

 そして、この広場の一角に「豊野りんご」を見つける。

千曲川の決壊で大被害を受けた長野市長沼地区。この北隣が

豊野町(現長野市)である。最後の一袋を求める。


 さて、昨日この商工祭に出かけるため中途半端になった、

中山道ウォーク、本庄宿の最終回の続きである。

 群馬県新町宿までのウォーキングを諦めて、一つ手前の

神保原駅(埼玉県上里町)をこの日のゴールとする。

 本庄散策の最後は、旧中山道からは数百メートル離れる

元小山川沿いの「若泉公園」。扇状地の端、本庄ならでは

の湧水の公園である。

 国道462号線が元小山川を渡る橋から下りると、公園内

を貫く小川の源である噴水池がある。

 これを見ながらベンチで休憩し、国道の下を潜って園内を

散策。この湧水の流れが元小山川に合流する普寛霊場などの

先までは約1キロの長い公園である。

 桝形の出口の歩道橋まで戻って、残り3キロの旧中山道

を歩き始める。このあたり、すぐ北側を国道17号線が走る

ので、旧中山道は静かな道である。

 大きな家電量販店を目印に旧中山道を離れて二柱神社に

向かう。日輪寺の持であった四門堂聖天社が、神仏分離後

に改称した神社である。

 武田信玄が聖天に帰依し、を使った聖天像を十六体作り、

主だった家臣に与えた。その一つを拝受した塩原勘解由

(カゲユ)が所領であった当地に、四方に柱を配する四門堂を

建てて聖天を祀ったとされる。

 杉山村が下野堂(下ノ堂)村となった所縁である。小さな

境内の奥にひっそりと立つ勘解由の墓を見て二柱神社を後に

するが、何故四柱神社にならなかったのか?

 次は万年寺公民館が目印の「万年寺一里塚跡」。二つの

街道が中山道と鍵型に交差するところであるが、標柱や石碑

などはない。

 佐渡奉行道は越後へ抜ける三国街道の古道。高崎から分岐

する前はここから分岐していた。佐渡へ向かう奉行も通った

ことからこう呼ばれる。

 「浅間(センゲン)山古墳」は、本庄市から埼玉県最北端の

上里町に入ってすぐ、家並みが途切れたところに現れる。

古墳を富士山に見立て浅間社を祀る。

 古墳時代末期の円墳で、高さ6m、直径38m。直刀、鉄鉾、

金環などが出土したと説明される。

 国道17号線に出て2時間ちょっとかかる帰路に備えて軽く

腹拵え。国道はいろいろと賑やかである。再び旧中山道に戻り、

ゴールの神保原駅まで1キロを切ったこのあたり大きなカーブ

は例の「桝形」の跡だ。

 ごご4時過ぎ、埼玉県最北の高崎線の駅、神保原に着く。

本庄駅からは9キロほどの距離だが、歩数計は13、4キロ

を示す。

 長いシリーズになった中山道ウォーク本庄宿を終わる。

次回はいよいよ神流川を渡って上州新町宿へ。さて何時に

なるやら。


 



 

 




 


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コメント一覧

jinbei1947
歩いたところを全部書いたのでずいぶんと
長くなってしまいました。
資料館の館長さんの話が一番よかったですね。
私も新幹線の本庄早稲田駅を一度使っただけで
未知の街でした。
ykoma1949
お疲れさまでした、 <(_ _)> やはり
彩の国最後の宿場町の本庄宿は、見どころ
満載でしたね~、それなりに昔は大きな
宿場だったのでしょう。山と渓谷社の書籍
「中山道」でその道程を一緒に歩いている
感じで追いかけますと・・なるほど よく
判りました。すみません煩く追跡してし
まいました(≧∇≦)
大宮~高崎間は普通列車も車でも走ったことが
なくて、興味深い街道でした。
大変勉強になりました m(_ _)m
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