じんべえ時悠帖Ⅱ

「実工学」の日本工業大学

 一昨日行って来た日本工業大学の「工業技術博物館」見物記の

(その1)である。

 明治44年、ライト兄弟の人類初飛行からわずか7年後の日本で

国産飛行機が組み立てられた。残念ながら飛行は失敗したがこの

組立を自校の実習工場で目の当たりにしたのが、設立直後の東京

工科学校の生徒たちだった。今の日本工業大学の前身である。

 戦後、大学となった日本工業大学は「実工学」の大学と呼ばれ、

「ものづくり」日本に多くの技術者を送り出して来た。大学がある

のは埼玉県南埼玉郡宮代(ミヤシロ)町、最寄り駅は東武動物公園。

 東武線の日光線と伊勢崎線の分岐駅である東武動物公園駅には

武蔵野線から乗り換えると約20分(急行)で着く。広々とした

西口に出ると古い「転轍機」が展示される。

 転轍とは鉄道の軌道(レール)の分岐点を作動させることで、

昔はこのようなレバーで人力で行った。しかし、何故ここに?

口碑には、この西口に東武鉄道の整備工場があったと書かれる。

 今は、長さ100メートル以上ある平屋の無印良品、東武ストア

および「みんなの公園」となっている。

 ここからちょうど1キロで日本工業大学に着く。住居表示は

「学園台」となる。構内の隅から入って正門に向かうと植込みに

石の鳥居が立つ。

 脇の口碑に寄れば、校地造成中に石の祠が出土し「天満宮安政

二年野口氏」と刻まれ、このあたりの名主野口氏が子弟の教育の

ため邸内に学問の神、天満宮を発祠したものと判明。

 そこで菅原道真公の生誕の日に、改めて日本工業大学天満宮を

造営し遷座祭を執り行ったという。すぐ先が正門、後付けながら

守衛室で博物館の見物を願うと自由に行ってくれという。

 右手に真っすぐ100メートルほど、貸切バスが駐車と言うことは

団体客がいるのかもしれない。

 (その2)に続く。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る