じんべえ時悠帖Ⅱ

信州にある二つの敗戦跡

 長野市南部、旧松代町には太平洋戦争末期に掘られた地下壕

ある。本土決戦に備え、皇室や軍、国の中枢を移転(疎開)する

為であったが、使用することなく敗戦した。

 「歴史のダイヤグラム」(朝日土曜版)の原武史(政治学者)に

よれば、信州にはもう一つの「敗戦」の跡があるという。

 大国主神の子、建御名方神(タケミナカタノカミ)は天上神である建御雷神

(タケミカヅチノカミ)との力比べに負け、出雲から科野(信濃)国の州羽

(諏訪)まで逃げ、結局地上国の葦原中国を譲って命乞いをした。

 諏訪地方では敗者である建御名方神への崇拝が篤く、諏訪大社の

上社本宮などに同神が祀られる。

 

 江戸川の土手、流山市側のウォーキングの続き。流山橋から2キロ

ほどで、間もなく開通する三郷流山橋の袂が見えて来る。最後の工事、

サイクリングロードの迂回路面への表示塗りが行われる。

 土手を降りて橋への高架道路沿いを歩く。土手下から歩行者と

自転車は長いスロープで橋へ上がる。

 バイクや車はもっと先から高架道に入る。その様子は次回。

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
ご次男の心中を察します(笑)。
運転の極意は「決断の早さ」、免許を持たない私が言うから間違いなし!
えめ
私が運転する車に次男を乗せて、(新嘗祭)を奉仕して、朝から3つの神社を廻りました。タクシーの二種免許は返納しましたが、運転にかけては90歳の私の方が上だと自負しています。疲れました。
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