長野市南部、旧松代町には太平洋戦争末期に掘られた地下壕が
ある。本土決戦に備え、皇室や軍、国の中枢を移転(疎開)する
為であったが、使用することなく敗戦した。
「歴史のダイヤグラム」(朝日土曜版)の原武史(政治学者)に
よれば、信州にはもう一つの「敗戦」の跡があるという。
大国主神の子、建御名方神(タケミナカタノカミ)は天上神である建御雷神
(タケミカヅチノカミ)との力比べに負け、出雲から科野(信濃)国の州羽
(諏訪)まで逃げ、結局地上国の葦原中国を譲って命乞いをした。
諏訪地方では敗者である建御名方神への崇拝が篤く、諏訪大社の
上社本宮などに同神が祀られる。
江戸川の土手、流山市側のウォーキングの続き。流山橋から2キロ
ほどで、間もなく開通する三郷流山橋の袂が見えて来る。最後の工事、
サイクリングロードの迂回路面への表示塗りが行われる。
土手を降りて橋への高架道路沿いを歩く。土手下から歩行者と
自転車は長いスロープで橋へ上がる。
バイクや車はもっと先から高架道に入る。その様子は次回。