じんべえ時悠帖Ⅱ

北国街道、篠ノ井追分宿

 「ヒダンキョウ」、理解するまで一瞬間(マ)が開く。ヒバクシャ

と共に国際語になっているようである。その日本原水爆被害者団体

協会がノーベル平和賞を受賞した。

 唯一(ビキニを入れると唯二)の被爆国でありながら核禁止条約

の批准を拒む政府に堂々と「物申せる」団体である。核廃絶に向け、

プーチンやイラン、北朝鮮の核脅迫に向けた国際社会の「希望の星」

位置づけられた結果であろう。

 戦前は、東アジア諸国を侵略し原爆で止めを刺された国の運輸官僚。

戦後は止めを刺した国の核の傘の下に入る安保条約の継続に奔走した

兄の後継として、その継続のご褒美としての沖縄返還の時期にたまたま

総理大臣となった者から50年ぶりの平和賞とは皮肉なものである。

 

 さて、信州の北国街道ウォーク2日目は矢代宿から篠ノ井追分宿へ。

約1キロの重複となるが屋代駅から北に歩き、前日のゴール、矢代宿の

中心である本陣跡、脇往還(松代街道)の分岐点から千曲川に向かう。

 途中の国道18号の信号には歩行者用がないが、200m離れた信号まで

行くのを省略し、車の途切れをよく確かめて渡る。小道を辿り数百mで

千曲川に出る。

 北陸新幹線と上長野道が交差しながら千曲川を渡って行く広々とした

風景。このあたりが矢切ならぬ「矢代の渡し」。一般道で対岸に渡る

篠ノ井大橋までは1キロ半。橋の長さを含め3キロ半の迂回となる。

 長野道の下の千曲川、坂木宿を出た国道18号沿い以来の久々の

川面とご対面。長野道、北陸新幹線と順に潜り、しなの鉄道は踏切

で渡る。

 土手道から篠ノ井大橋の歩道に直接出られるか心配だったが、何とか

行けそうである。駄目なら信号まで300mの往復であった。

 新幹線と在来線(しなの鉄道)が同時に渡る僥倖に期待するが

数分待ってやっと2両編成のしなの鉄道が来るだけ。

 長い篠ノ井大橋の終盤、さっきまで見えていた飯縄山の山頂に雲が

掛かる。渡った先、以前は真っすぐ長野市街に向かった国道18号だが、

いまは郊外を通るバイパスが大きくカーブして行く。

 おっと土手道は工事中、下に降りて古い平屋の市営団地を抜ける。

101号から200号までちょうど100棟の「マンモス団地」、それぞれ数軒

の長屋だが多くは空き家だ。

 しなの鉄道に続いて北陸新幹線を潜った先で工事区間が終わっている

ようなので土手下に向かうと、神社の入口に「矢代の渡し」の口碑が立つ。

 「軻良根古(カラネコ)神社」は、古く貴人の尊称に使われた「唐禰子」が

由来の神社で帰化人を祀る神社である。

 土手から眺める千曲川が大きく蛇行するところ、ここが矢切の渡し

であった。北陸新幹線の奥、しなの鉄道の観光列車だろうか。

 矢代の渡しから北に向かうとすぐ「篠ノ井追分宿」。幕府が指定

した宿ではないが、中山道洗馬(セバ)宿からの善光寺道(北国街道

西往還)との追分で、間(アイ)の宿で茶屋が繁盛していたという。

 ここから篠ノ井駅までの約2キロを歩いて北国街道2日目のゴール

とする。

 昔に比べてずいぶんと整備された駅前通りの突き当り、立派な橋上駅

となった篠ノ井駅を若者の後ろから撮る。

 その橋上の広場からの眺め、正面が戸隠連山。長野行きを待つ間、

総ガラス張りの待合室で缶ビールでとりあえずの打ち上げ。ここも

大きな荷物を持った外人旅行客が多い。

 ドジャーズとパドレスの最終戦を見ながらのアップで遅くなった。

たった今、ドジャーズが2-0で代表決定戦決勝進出を決める。

 山本が5回までゼロ封して勝ち投手。今日も大谷を完璧に押さえた

ダルビッシュだがソロホームラン2本を浴びて負け投手。

 

 

 

 

 

 

 


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る