じんべえ時悠帖Ⅱ

やっと高崎宿の後半を歩く

 コロナ禍で3月から中断していた関東の中山道ウォーク

を再開した。早朝はだいぶ涼しくなったので6時少し前の

三番電車で三郷を出発、スタートの高崎へ向かう。

 自宅から2時間半、高崎駅から西に歩いて中山道へ

向かう。クレーン車から高いビームがビルの屋上に伸び、

これも高い足場が組まれている。

 駅前「あら町交差点」近く、マンション建設ラッシュ

である。

   お江戸見たけりゃ高崎田町

     紺ののれんがひらひらと

 徳川四天王の一人、井伊直政の城下町(高崎城)だった

ため、諸大名が遠慮して宿泊しなかったので高崎宿に本陣

はなかった。代わりに一番賑わったのが田町あたり。

 伊能忠敬の出身地、千葉の佐原でも「お江戸見たけりゃ

佐原へござれ」と歌われる。今なら「お江戸見たけりゃ

GO TO トラベル」で。

 その田町交差点近くに復元されたのは、明治時代に開設

された「田町絹市場」。

 中山道の一本裏道、江戸初期の古中山道沿いの一里塚跡。

見事なまでに面影はなし。当時の高崎は酒井五万石だった。

酒井パーキング、何か関係があるのだろう。

 高崎宿はL字型に曲がる、中山道でも長い2キロの

宿場街。本町交差点で前から来た中山道は右へと直角

に曲がっていく。そう、高崎の中心街は「電柱レス」。

 曲がって直ぐ、越前屋の土蔵造りの商店。明治に再建

されて漆器店に。昭和の中山道拡張で曳家移築された。

中では老夫婦が仲良く並んで一冊の本を読んでいた。

 北から西に向かった中山道、本町一丁目の交差点から

右に三国街道が右(北)に分岐して行く。「渋川街道」の

標識は見つからず。

 高崎宿、もうちょっと。続きは次回。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
この半世紀に限っても、最低でも百回以上は通過している高崎ですが、
街中を歩くのは2回目、私にとってもそんな街です。
利根川を歩いた時も前橋市との境界で高崎市側を歩いただけでした。
jinbei1947
えめらるど様
地鎮祭や棟上げ式、意外と廃れていないですね。
施主の意向はまちまちですが建設関係者は拘ります。
さて、二百年が長いのか短いのか、ちょうど変革の時代に
生きているということかも知れません。
ykoma1949
高崎、中山道では要衝の城下町ですが意外と
信州人の私には、行く機会が少なくて、ニ回
ほど立ち寄ったくらいで、泊まったこと飲んだ
こと、まったくないのでその割に親近感には
乏しい街です。これは私のだけの感覚ですが
私はいつも感じているのが群馬県の県庁所在地
高崎が一番と思いますが・・何故か高崎市より
人口の少ない前橋市に県庁があるのが不思議
高崎情報・・続きが楽しみです。
えめ
お疲れ様。ご無事でご帰還、何よりでした。当方午前中、雨の中地鎮祭。午後は専ら中山道69次についての学習。先ずは、広重の描いた素朴な高崎の風景から僅か200年後の現代の変貌に、驚いています。明日からこのブログを教科書に、学習を続けさせていただきます。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る