台風の影響で雨が続き散歩はなしになりそう。高崎宿
の続きとしよう。
三国(渋川)街道が分岐して行く本町一丁目の交差点
から中山道は細い道になると同時に久々電柱風景となる。
「高崎神社北口」の看板に誘われ入ってみる。
見えて来たのはコンクリート製の駐車場の上に載った
拝殿と本殿。地に足は付かなくとも、天と繋がればよい
ということなのだろう。「見慣れない」風景ではある。
立木の端が水平で、鰹木は偶数の六本となると主祭神
は女神である。
すぐ隣の恵徳寺では「高崎」の地名由来が書かれる。
この先、中山道は碓氷川に向かって下る「赤坂」地区。
兄家光に幽閉された徳川忠長が自刃した高崎城の書院を
移築して庫裏としたという長松寺の山号も「赤坂山」。
煉瓦の煙突が建つ醤油醸造所の先、二十二町(2.5キロ)
も続いた高崎宿の終わり(京口)である山田文庫の角を
曲がった中山道は、碓氷川に沿って進み君が代橋に出る。
国道17号から信州にに向かう18号線が分岐するところ、
さて、ここはどう歩けばいいのか、車優先の社会である。
手元の地図を見ながら歩きのルートを探すと、叢の
中に古い君が代橋の親柱(欄干の端)が残る。脇の説明
では、明治十一年、明治天皇御行幸の折、馬車で渡った
木橋を「君が代橋」と命名したとある。
少し離れた信号を渡り、やっと君が代橋の上流側歩道に
出ると展望が一気に広がる。中山道の渡河ルートは写真の
右手から橋の下を通って斜めに対岸に向かったという。
高架橋の下の隙間から「高崎(白衣)観音」を遠望。
高さ約42メートル、重さは6千トン、昭和11年建立。
君が代橋を渡った先の「萬日堂」を探すが、その先の
「石神(シャクジ)社」に着いてしまう。歩道の工事をして
いる職人さんに聞くと、君が代橋の袂にお堂みたいなのが
あるという。早速引き返すとありました、まさに橋の袂。
この萬日堂には寝釈迦と間違って作られた珍しい仏像
が「立つ」というので来てみたが、残念ながら中を見る
ことは出来なかった。バイブル、岸本豊氏のガイド本の
写真をお借りする。全国に五体の「見返り阿弥陀仏」。
上州と北信州を結ぶ「信州街道」の分岐点の道標には
「右 くさつみち」と彫られる(右上)。
源氏の八幡平義家が前九年の役の欧州遠征の折に立ち
寄ったという若宮八幡宮で休憩、軽く腹拵えして出発。
このあたりは「高崎ダルマ」が作られるところ。店先
での色付けが終って休憩に入る奥様に無理を言って作業
していただいた。
この先の大きなダルマ屋さんに並ぶ白いダルマたちは
ちょっと異様。店内にはたくさんのダルマが積まれる。
碓氷川の対岸、中山道から離れた山腹の少林寺達磨寺は
ちょっと遠いのでパス。
国道18号を渡り、ずっと見えていた碓氷川の土手に
上がる。今日は中山道優先だが土手道はやはりいい。
三角に尖った山は榛名山だろう、晴れて暑くなった。
八幡八幡宮の大鳥居、板鼻宿の始まりである。下に降りる。
次回は板鼻宿。