沢木耕太郎が、週一回朝日新聞土曜版に連載する「暦のしずく」。
その第一回(10/1)「序章 獄門 一」の結びは、
「長い日本の芸能史において、ただ一人だけ芸によって死刑を
処せられた芸人は、その名を馬場文耕という。講釈師だった」
室町時代、六代将軍足利義教によって佐渡に流された能楽の世阿弥。
その理由は諸説あるが、少なくともその芸によってではなかった。
江戸中期、歌舞伎の生島新五郎が遠島に処せられたのも、奥女中、
江島との密通ゆえで、その芸のためではない。
同じく江戸中期の元禄年間、落語家鹿野武左衛が大島に流された。
これも悪疫の流行時に武左衛門の話に想を得て流言をまき散らした者
の巻き添えを食ったものだった。
昭和に入って治安維持法が乱用されは始めると、左翼的な言動の
演劇人が検挙され「転向」を迫られた。滝沢修、若き沢村貞子なども
含まれる。
等々、日本において権力によって捕らえられた「芸人」はいるが、
その芸を理由に「死刑」となった芸人はいなかったのであろうか、と
調べた沢木耕太郎が見つけたのが、江戸末期の講釈師、馬場文耕。
今日で連載十三回目、本にすれば百ページ分くらいであろうか。
この冬、初めて撮りに行った江戸川の日の出。江戸川が逆流して
いたから、東京湾は満潮だったかも。