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じんべえ時悠帖Ⅱ

終に無能無才にして此一筋につながる

 久々に鷲田清一氏の朝刊コラム「折々のことば」から引用

したのが今日のタイトルである。

 「終(ツイ)に無能無才にして此(コノ)一筋につながる」は、

松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の後、しばらくして琵琶湖畔の

大津の山中に移り住んで生涯を振り返った言葉である。

 自分は仕官や出世を願ったこともあったが、俳句一筋に

生きたので、他には身を入れぬまま今日まで来たと述懐する。

 無能無才、かつ「一筋」もなく、ただ生きてきた人生の

一筋があるだけの私には遠い言葉である。


 深谷宿の本陣遺構などの補習ウォークを終えて、呑龍院

から本庄宿へ歩き出す。麗らかな秋の好日、日差しが強い。

多分、2回か3回のシリーズになる。

 緩やかにうねる旧中山道が高崎線が近づき、踏み切りを

挟んだところに清心寺がある。左側の石柱の「平忠度の墓」

がお目当て。

 源平合戦一ノ谷で平清盛の末弟忠度を討ち取った、岡部

六弥太清澄が、忠度を弔って領地で一番景色の良いところに

五輪塔を建て、後にこの清心寺となった。

 石の平板の囲いの中、菩提石と忠度所縁の菊が彫られる。

忠度(タダノリ)の官位から無賃乗車を「薩摩守」というのは、

狂言でも演じられるほど歴史は古い。

 旧中山道が国道17号を渡ると龍宮(タキノミヤ)神社がある。

このあたりは湧水が豊富なところで、明応五年(1496)の

大干ばつの折も、ここに池を掘り豊富な湧水で難を逃れた。

感謝した村民が社殿を建ててお祀りしたのがこの神社という。

 国道17号に合流すると道は一直線になって北西に向かう。

既に深谷市から岡部市に入っているようだ。

 何故かシュロの樹が並ぶ。このあたりは漬物屋が多いが、

何か関係があるのだろうか。

 瀧宮神社から約1キロの源勝院に、岡部の旗本安部(アンベ)

氏歴代の墓が十二基も一直線に並ぶと言うので寄ってみる。

 国道から200mほど参道を歩いてやっと山門に着く。江戸

初期の建立という。その脇の坊主像が可愛らしい。

 山門手前から本堂の左手の墓地は広く、本堂の左奥にやっと

笠(屋根)つきの十二基の墓の列を見つける。背後は妻沼低地

の田んぼ。その奥の山並みは赤城連峰のようだ。

 国道(中山道)への戻りがけ、山門前に口碑を見つける。

歴代十二基もの墓があって、何故初代の墓がないか、これを

読んで納得。安部氏は信州諏訪の出、など詳細は口碑を。

 源勝院を出るとちょうど12時のチャイムが鳴る。深谷駅

を出て2時間近く。街道沿いはまだ3キロ半。時速2キロを

切ってしまった。6時前の朝食で腹が減ったが先を急ぐ。

 続きは次回。足も遅いが筆も遅い。

 


 






 

 

 


 



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コメント一覧

jinbei1947
地図で安倍川を遡ると身延山や富士川の隣りの谷のようです。
口碑には「安部谷」となっています。
いずれにせよ、きな粉をまぶした安倍川餅の発祥地ですね。
ykoma1949
身延谷の安部のことでしょうが・・信州
から静岡に出る時に通ります。そして
諏訪の名前も出てきて・・意外な所に
意外な縁が・・信州諏訪の出身とは驚き
です。 棕櫚の木がこんなに大きく育つ
きっと温暖な??日本の最高気温の観測
される街の近くでしたよね、
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