いやはや何という講師なのだろう。女性蔑視、時代錯誤も
甚だしい。開いた口が塞がらないとはこのことだ。吉野家の
伊東正明常務である。
「(シャブ漬けにする如く)、田舎から出てきた右も左も
わからない若い女の子を無垢、生娘のうちに牛丼中毒にする」
というのが吉野家の戦略だと、マーケティング講座で喋った
という。吉野家は慌てて解任した。
「男に高いご飯をおごってもらえるようになれば(牛丼は)
絶対に食べないから」とも言ったとか。ん?このフレーズは
一度聞いたことがある。何時どこで誰だったろう。
現役時代は電車で移動することが多かったから「駅そば派」
である。牛丼も駅そばも、老若男女を問わず忙しい人、急ぐ人
には便利な食事。「うまい、やすい、はやい」は時として高級
料理を凌ぐのである。
だが、牛丼チェーンの役員が自らそれを卑下するとは・・・。
プロ野球のエースの如く「中八日」で日光街道を歩いた。
家から遠くなり、往復の電車賃もバカにならなくなって来た
のでちょっとロングウォーク。石橋から雀宮宿、宇都宮宿へ。
往きの電車、利根川の手間から朝靄が濃くなる。石橋駅に
着く頃は少し薄くなったが、まだ遠くは視界が効かない。
前回の最後、開運寺を再び訪れる。
ここで見逃したもの、境内周囲の塀の穴。日光詣での徳川
将軍の休憩所ゆえ警戒の銃眼である。
しばらくは国道4号を北へ。視界は300メートルくらい。
右手奥、まるで一里塚のようだがもちろん方向が違う。
しかし、なかなかいい景色である。奥はJRの操車場。
石橋駅から約2キロの下古山の交差点角、旧街道はここ
から右奥に向かったというが跡もなし。手元の先達の資料は
「アッタリマエダノクラッカー」の前田製菓の工場とある。
それにしてはフェンスも建屋も新しい。先に進むと今は
帝国繊維の倉庫になったようだ。時代は物流、アパレル。
表示のないキロポストと思ったら裏側だった。通り過ぎて
から見るとちゃんとある。今まではほゞ反対側を歩いていた
から表示は南側で「東京から」だった。
この先、雀宮(スズメノミヤ)宿までは次回。