僕は台子ちゃんが好きだ。でも、隣のガキ大将、習君も
好きそうなので怖くて言えない。
そうだ、ちょっと遠いけどバイデン兄ちゃんと一緒なら
言えるかも知れない。と菅笠をかぶって旅に出た僕でした。
冗談はさておき、水戸街道ウォークは、石岡一里塚の先、
次の地図、小菅からの通し番号「53」がない。落としたか、
家に忘れたか。さて、どうしたものかのー。
ポケットやナップサックの中を探しながら歩くうちに、
コンビニが出現。地図やロードマップが置いてあるはず。
雑誌コーナーにはない、店に訊いても置いてないという。
以前は昭文社の大きな一枚地図や道路地図帖が置いて
あったが、今はナビやスマホがあるから誰も買わない
のだろう。
「スマホ!」、そうかスマホに「Google map」がある。
使い慣れないので、拡大縮小の度に位置がずれてしまうが、
なんとか現地点を探し出し、その先を辿ってみる。
歩いて来た県道を逸れて、その先で再び県道に戻って
横切る。そのカーブは距離を書き込んだ時に見覚えがある。
一件落着と再び歩き出す。
まもなく「行里川(ナメリカワ)」の大きな交差点。県道から
の分岐はこのすぐ先である。
ここでちょっと余談。行里川の「行」をナメと読むのは、
同じ茨城県霞ケ浦の東岸、行方(ナメガタ)市と同じ。
千葉県勝浦市の行川(ナメガワ)アイランドもある。その他
行沢、行田など全国に十数ヶ所の地名がある。
ヤマトタケルが霞ケ浦沿岸の風景を「行畑し」(ナメクワシ、
=繊細し)と表現したのが由来と言われる。もう一つの
由来は、並ぶを並む(ナム)といい、行、列、も「並む」と
同じ意との説から来る。
「ゆくえ市ではありません 行方市」と、敢えて読みを
伏せたポスターで観光キャンペーンを張った行方市のHP
へのアクセスが急増したという逸話もある。
余談が長くなったが本題へ戻る。この行里川交差点の
先で分岐点となる。この曲がり方が特徴。間違いなし!
県道を外れた旧水戸街道、宿場通りのような家が並ぶ。
数百メートルで、分岐した県道52号を横切って園部川を
渡ると石岡市が終り「小美玉市」に入るが、小美玉市側の
標識はない。
川に向かって下り、川から上る。今日もこの繰り返し。
坂を上り切って振り返る筑波山、まだ男体山と女体山
が重なり三角形だが、ここも電線がj邪魔をする。
再び下ると国道145号のだだ広い交差点の先、やはり川。
細い花野井川を渡ると、やはり竹原宿へ向かう上り坂が
始まる。右手の茂みは竹原神社だろう。
三十段ほどの急な石段に躊躇するが、竹原宿の鎮守の
神社だろうと寄ってみる。
やや小さいが石岡市の総社宮の神輿と同じ本格的な
神輿という口碑はあるが、肝心の神社自体の説明はない。
神殿の千木と鰹木は祭神が男神を示す。
ベンチが置かれるので社殿や背後の森を眺めながら
休憩とする。チェアリングにはちと早い。
坂を上り切って竹原宿に入るが、ここも本陣や脇本陣が
なかった小さな宿。それらしい家並みを三百メートルほど
過ぎると、国道6号に突き当たって左折となる。
その先に一里塚があったようだが痕跡はない。やがて
右手の立派な門の屋敷が元庄屋という。関東では庄屋と
いうより名主と言うことが多いが、このあたりでは天領・
旗本領では名主、一般大名では庄屋となるそうだ。
どこまでが竹原宿だったのか、しばらくはそれらしい
屋敷が点在する。
ここからは、緩く右にカーブしながら延々と3キロほど
国道6号を歩く。トイレマークのあるロードパークの標識。
着いてみれば店は閉まり、長く駐車スペースがあるだけ。
時折ある地蔵や石碑以外は、車の切れない国道を歩く
シンドイ時間が過ぎる。
大曲という急カーブの先、反対側のコンビニに入り、
トイレ休憩を兼ねて、立ったまま牛乳とパンの昼食。
いつも通りおにぎりは持っているが非常食にとっておく。
この先の6号沿いは桜並木が続き快適な歩行。ほんの
数メートル車道から離れ、間に木があるだけでずいぶん
違うものだ。やがて、堅倉宿へ向かう分岐となり、更に
ホッとする。
ここで大事件発生。背中にナップサックがないことに
気が付く。コンビニで昼食の時、ペットを繋ぐフックが
付いたポールに掛けたまま出発してしまった。
昼食のゴミを捨てるため反対側に歩き、視界から外れ
たのが要因、そんな理屈はさておき、単なるボケである。
往復1.5キロの追加となり、距離よりも心のショックが
大きい。しかし、お陰で風情の良い桜並木を1往復半も
出来たと慰めて先に進む。立ち直りは早い方だ。
その堅倉宿は次回。