壬生道ウォーク2日目の後半。鹿沼市に入ると歩道が左(西)側に
なる。どちら側でもあれば有難い。鹿沼市の市長選があるようだ。
ゴールの今市までは31キロ。今日このあと10キロ、新鹿沼駅まで
歩けば残りは20キロほどとなって1日でも可能な距離になると「妄想」
するが無理は止めておこう。
鹿沼市入って1キロ地点の「判官塚古墳」が見えて来る。
源九郎判官義経が兄、頼朝に追われ奥州に逃げる際に隠れたことで
「判官塚」と呼ばれる。そうだ、あの古墳の上で昼飯としよう!水田
の中のアクセス道を歩き麓に着く。
口碑脇の巨石は石室に使われていたもの。全長70メートルの前方
後円墳で、前方の幅の方が後円の直径より大きいことから6世紀後半
のものとされる、など口碑から学ぶ。
高さ5メートルの「登山」をして「前方」の上に出る。大木の
木陰で下界を眺めながら、立ったままサンドイッチの昼食もオツ。
壬生道に戻る途中、南西から北西に広がる風景をパノラマで撮る。
判官塚への入口の右手、盤裂根裂神社は「いわさくねさく」と
読む。日光開山の勝道上人が「男体山山頂を究められたのは一重に
磐裂様根裂様などの神々のお陰」と言った神様を祀る。
上空をシラサギ?が優雅に舞うこの神社にも寄ろうと思ったが、
草茫々の入口と深い森に躊躇。この神社の下は亀塚古墳という。
このすぐ先が北赤塚一里塚。東(右)塚もなんとなく残っている
ように見えるが、口碑の地図には「消滅」のマークが付く。これ以降、
鹿沼市内の3つの一里塚も「消滅」である。
ここからは日光街道の後半と同様に、街道(国道)から一段高い
ところを歩道が通る。
愛宕神社の先の角の道標は「右くかおさく、左あはのをさく」と
彫られるらしい。おさくは「石裂」のこと、久我石裂、粟野石裂と
いう二つの「石裂山」を神体とする神社への道標ということである。
地図で見ると石裂山はこの分岐から北西へ20キロも先の山である。
いきなり現れた左手の大きな建物は「ベルメゾン千趣会」の商品
センター。懐かしい名前に帰ってっから調べてみる。
「こけし千体趣味蒐集の会」として発足したカタログ通販の老舗で
あるが、アマゾンなどに押されて赤字転落。度々の構造改革の結果、
現在はJR東日本が筆頭株主である。
千趣会の構内からチャイムが響く。12時45分である。その先の
南押原中学校のチャイムが12時55分。右手に続く黒川沿いの並木を
見ながら一路北へ。東北道を潜るとゴールの楡木駅も近い。
やがて日光例幣使街道が合流する楡木(ニレギ)追分の交差点。
その角の古い古い道標は全く読めないどころか、風化が進み崩れ
るのではなかと思うほど。
楡木駅入口交差点から先が楡木宿だが、今日も暑く心は折れない
が気力が萎えている。壬生宿と同様に次回のスタート時に宿場遺構
を探そう。壬生宿から楡木宿まで約11キロ。途中の宿はない。
新栃木~今市間の東武日光線、昼間はほゞ一時間に1本。その
時刻まであと20分。駅までの600メートルが遠い。
駅は当然無人駅。駅前の自販機も当然缶ビールはなく清涼飲料で
我慢。ホームから眺める北西方向の山々は多分那須連山だろう。
とにかく2日目をフィニッシュである。