台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ423 日本の共同社会は、今

2013-05-04 16:59:40 | 台湾
私ら貧乏な時代に育つと、妙な長屋社会が生まれます。醤油・味噌・お米などを互いに借り会う社会。互いに助け合う社会。私は、とうきよう葛飾でしたから、貧乏の最先端。
この社会の中で、救われるのは、貧乏は、俺の家ばかりでない、みんな貧乏なんだという。貧乏共同体みたいな安心感。これは、貧乏した人でないと、わからない不思議な感情。
 今、その共同体がくずれている。仲間。仲間がいないから、引きこもりも、非正規雇用も救われない。人間というのは、自分より、ひどい環境の人を見ると、
二つ。よかった俺は、こんなにひどくはない。と言う優越感。
もう一つは、いつかおれも、個々へ落ちるのではないか、という不安感。
日本を始め、先進国が直面している・・・。貧困・失業・・・・・。
 いつの時代にも、競争はあった。競争に勝つが為、時として、戦争を起こす。たくさんの人が、第二次世界大戦で死んでいった。この、戦没者に対しては、国は、礼を持って、接している。
 けど、一生懸命働いている、非正規雇用の人たちには・・・・。
一度、全部取っ替え。正規社員は、非正規社員へ。非正規社員は、正規社員へ。
つまり、社会を動かすのが、「貧乏人」だったら、こういう法律をつくるだろうか。
一回落ちたら、もう戻れない、渦へ。産業界を引っ張っている経団連、商工会所等々の経営者の皆さん。十年間あなたたちも、非正規雇用してみてください。もしかしたら、頭のいい人が出て、この渦を止められるかもしれません。
 日本には、昔、ストライキをやる人々が居た。今、ストライキやれる、「怒り」をもった戦闘的集団。労働組合は、政府の回し者に成り下がったのか。
 不思議です。あの学生運動をした同世代が、こんなに同じ労働者を苦しめる法律を作るなんて。   現実です。
今日本人が直面していることは、世界中の国で・・・。広がっている。
日本語の「もったいない」が世界の言葉になったように、非正規雇用も世界語になるのかも・・・。この言葉だけは、世界語にしないで欲しい。
 日本の義理・人情は、どこへ行ったのか。これも派遣○○切りにあってしまったのか。
あの、日本国中が貧乏だったときの共同体は、今どこに。
私は、思うのです。正社員の待遇を少し落とし、非正規社員の待遇をあげ、お互いの平均値を取り、世界と競争してみてはいかがでしょう。
 正社員の方から、なんで俺たちの待遇が「あの能なしの貧乏人」と一緒にするんだと叱られそうですが・・・。
明るい展望のある社会は、いまどこに有るのでしょうか。世界の中で、この問題をクリア出来た国は、・・・・。
どこもない。そしたら、日本が世界を代表して、「見本」を見せるべきです。
日本全体が沈没する前に・・・・。
いつか反動が来ます。その反動が・・・・。反動出来る力を果たして、のこっているだろうか。今、若者は、とても物わかりよく、この構造に耐えている。
 なんて、難しい問題を提起してしまったのだろう。
問題をだしいる私でさえ、どう答えて良いかわからなくなりました。
                              再見。 

422 ブログ 422 父性と母性。

2013-05-04 16:00:28 | 台湾
人が一人前に育つ過程で父性と母性の完成が必要の様に思う。
父性とは、物事を計画し、実行・決断する力。
母性とは、人間的な情・慈悲・愛情のような情緒の発達。
これは、男女関係なく、備わっている物だが、たまに、この女性は、父性を強く持った人だと驚く人もいる。逆に、この人は、男性だが、細やかな神経の持ち主で、女性の感性を多く持った人だと感じることがある。
 昔、「かげろうの家」と言う本を読んだのをふと思い出した。二十年ぐらい前、東京の足立区綾瀬でコンクリート殺人を覚えていますか。四人の少年A・B・C・D。
その家族の崩壊の様子が描かれていました、埼玉新聞が連載し、毎日、その新聞を興味深く読んで居ました。それぞれの家庭がどのように崩壊していくか。両親が居るAの家は、お父さんは、薬剤師。お母さんは、看護婦。お父さんは、よその愛人を作り、・・・。Aは、もう小学校高学年から、かっとなると何するかわからない人格に。中学校も同様。
親父は、止める力もなく、・・・、放任。B・C・Dの家庭も、環境こそ、違うが、親が、子供の非行を止めることが出来なく子供自分勝手な世界へ・・・。
なんで、このコンクリート殺人を取り上げたか、その当時、私の勤めていた学校も相当家庭崩壊が進んでいる家が多かったから。もちろん、すさまじく学校は、荒れていました。当時、男の子が15人 女の子が5人。三百人ぐらいの学年で二十人いると、・・・。
学校の規律・秩序は、・・・。成り立たない。私は、当時生徒指導主任と言う立場でした。毎日会議しても、・・・。生徒の荒れは、増えることは、会っても減ることは、ない。
また、彼らの中には、最初から、教師と喧嘩するために来ているという様な生徒も居た。
「かげろうの家」は、東京ばかりではなかった。
このグループの中心的なメンバーは、ほとんど崩壊家庭。父子・母子家庭が多かった。仮に両親が居ても、お父さんとして、威厳のある家庭は、ない。人間がまともに育つためには、やはり両性が必要なのだろう。もちろん、母子家庭でも、まともに育っている家庭もたくさんある。貧しくとも、親が一生懸命、働いている姿を見ている家の子供は、結構親の苦労を知って居るから、ゆがみが少ない。人間発達過程でどこか「歪み」が発生するものだ。それがどこかで、修正が求められる。多くは、仕事に就いてから自己修正しながら、仕事に携わる。
 このツッパリ達は、今30代半ば。けど、きっと働いていることだろう。なぜなら、
ツッパリ達は、いきる力をもてあまし、学校の中で暴れて居るレベル。もちろん、多少警察のお世話にも為ったことだろう。けど、世の中の大枠を破るレベルには、至ってはいない。
 逆に、引きこもりの問題を考えるとき、どうも、「父性欠如」を感じる。
本当は、人間成長過程で自分にとって何か怖い物「おやじ」「おふくろ」等なにか有って、育って行くのではないか。ま。今一方の貧困が進み、保護者の中にも「病んでいる」方も多い。総論することに無理がある。学校の登校拒否問題一つ解決できないのに、今のひきこもり問題を片付けるのは、難しい。
 少し極論しよう。
「こきこもり」は、いけないことか。誰か、困って居る人居ますか、
彼らが、迷惑を掛けていますか。
   どうお考えでしょうか。再見。 

421 ブログ421 就職氷河期と若者

2013-05-04 15:49:49 | 台湾
私らの時代と決定的に労働条件が違う形態。非正規雇用。このお化け。1980代後半、非正規雇用法為る法律が作れら、もう二十五年以上。すでに、社会の三分の一の人がこの非正規という貧困労働に従事している。産業界と国が結託して、この法律を作り、今では、ほとんどすべての産業にこの形態が入ってきている。
一度、正社員から、非正規社員になると、もう立ち上がれないという蟻地獄のような社会構造。一生懸命働いても、結婚もできない・・・。結婚しても、共稼ぎで無いとやっていけないシステム。まして、いつ首になるかもしれない不安定雇用。
 二〇〇〇万以上の人がこの雇用の中で苦しんでいる。私らの時代になかった「ばけもの」
もし、私が現代の若者だったら・・・。毎日不安におびえながら、仕事に打ち込むことが出来るだろうか。私なんか、前日身体が一日変だというので、寝ていた。もし、非正規社員で一日休みをいただきたいと申し出たら・・・。翌年も、契約を更新して貰えるか不安になることだろう。だから、多少無理しても仕事場へ行かざるを得ないのかもしれない。
その無理がさらに身体を悪くし、しまいには、「こころを害し」始める。これが一番怖い。
 ま、先のことを考えるば、考える程、不安。お先、真っ暗な社会。
果たして、これは、自己責任なのだろうか。みのもんたや政府の役人、橋下徹氏は、
よく「自己責任」という言葉を使って、「それは、自分が選んだ道」だからという。
本当に、二千万人の人は、自ら、選んだ道なのか。そうしか生きられない構造をつくった為ではないか。ただ今、その真っ最中のひとに、「あなたの責任では、ありません、社会が作った物ですから、あなたは、アタナノ仕事に精一杯おやりください。」
そう言っても、何の解決にならない。どこかで、本気になって、日本の生きる道筋を政治家、労働者・産業界、一般の主婦、学生。みんなが集まり、「英知」を集結せねば解決しない。こんな労働構造の中で、人間が育つわけない。日本は、「人間」しか資源が無いのですから。もっと人間を大切にする産業界にしなくては・・・。松下幸之助のような人は、産業界にいないのだろうか。
 小手先だけ変えても、根本的な構造を変えて行かなくては、何にも為らない。
もう一つは、高齢者の労働。これは、ま、根本問題が片付けば、自然と折り合いが付きそう。
 果たして、それそれの代表が集まり、意見を戦わせ、一つの物にまとまるか。
まとまった物の実効性。絵に書いた餅にならない物が果たして、出来るのか。
私のぼんくらな頭で考えられるのは、このレベル。とにかく、日本の将来が掛かる大切な会議。憲法の改正と同じくらい、重要かもしれません
 皆さんは、この問題どうお考えですか。
私は、どんなにいまの若者を思いやっても、彼らには、成れません。そりゃ、そうです。想像することは、できろが果たして現在の気持ちのように「さくら」を歌えるだろうか。いつも笑って入れるだろうか。君が笑っているから、がんばれる気がしたよ。個々に出てくるような、いつも笑っている女の子がそばいる。そりゃ居れば嬉しい。彼女も、・・・・。カールフレンドぐらいは、いるかもしれない。
 笑って過ごすことが、この問題を考える度に、難しい気がしました。
けど、私は、いつかこの時が「笑い話」に成るときがくるまで、お互い元気にがんばろう。いや、余りがんばりすぎては・・・。
  なんで、こんな社会になったんだあーーーー。
                                 再見。                               





 再見。