台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

457 ブログ  映画の話

2013-05-12 21:20:49 | 台湾
 図書館で1週間日曜日一回映画を上映します。日本映画の時もあります。
もちろん、字幕で中国語に替えています。日本語と中国語の比較になります。
私は、「看懂」だから、逆の方がいいのだがそれでも、面白いです。
 先日は、吉永小百合の「母べぇ」をやっていました。「マルサの女」も。
映画を見ていると、宮本伸子の演じている「マルサ」がとても、頭の良い人。
脱税する人は、さらいそれを上回ろうと、する。キツネとタヌキの化かし合いに似てる。
お互いの知恵比べ。実際の社会でも、お金のある人は、何とか、税金を逃れようと、必死になってしていることだろう。私は、公務員だから、税金は、源泉徴収。
つまり、給料を貰う前に、税金が引かれている。公務員・会社員は、みんなそうなっている。だから、ごまかしようがない。
 ところが、自営業の人、農業の人は、自己申告。もちろん、様々な必要経費が認められている。一番は、人件費。アルバイトが、五人いれば、五人分の給料が・・・、これを水増せば・・・、かなりの脱税ができる。正直に申告している人が、ばかばかしいくらい。
大体、農業・自営業の自己申告の人で、税金を納めている人は、非常に少ない。それは、本当に儲かっていないという場合も多い。
マルサが狙うのは、「パチンコ屋」「ホテル業」「不動産業」などが多い様だ。確かに、パチンコ屋は、日銭が入るから・・・、ごまかしやすいかもしれない。けど、バチンコ屋は、儲かるって居るのは、大手のチェーン店。飲食業も大手の方が多い。台湾も、繁盛しているのは、大手のチェーン店。後最近では、「株」取引での金儲け。これは、結構わかりにくいらしい。確かに、この所、株価があがり、日本でも、かなりの人が、再び、株に手を出しているようだ。私は、やったことがないが、身近で、儲けて居る人も、損している人も両方知って居る。難しいようだ。
 どっちにしろ、私には、縁のない世界。恐らく、一生税金から逃れる心配は、なさそう。確かに、自分が勤めている限り、所得税、市民税ぐらいで、大体、給料を貰う前に引かれている。台湾の徴税のやり方は、知らないが・・・。そんなにたくさん、所得がたくさんになることは、あり得ない。ま、生きて、生活出来るお金があれば、充分。教師生活が長かったから、お金に対する執着のない生活が長すぎた。もう変われない。変わる必要もない。それで良いのだと思う。これから、将来ある人達は、お金とどうつきあうか、税金を道納めるか、結構大切なテーマだと思う。
そして、税金が無駄遣いされないか。安倍さん頼むよ。私は、現在の老人を少し苦しめても、若者が希望の持てる社会構造の方が良い。たとえば、高校・大学の授業料は、全部無料。勉強したい人が、勉強出来る社会。消費税も5%、10パーセント
15%まで、見越して良いから、希望の持てる社会を頼むよ。もちろん、待機児童とか、女性の働く環境は、完全整備。必要なことには、オカネを使い、無駄な設備投資は、無くす。これから、日本も、さまざまなところが、作り替えなければ、ならなくなる。
この際、国家構造も将来を見越し、創ったらどうだろう。
再見。

456 ブログ456  人は、何故イジメをするのか

2013-05-12 14:27:05 | 台湾
まず、残念ながら、「いじめ」の無い社会は、無かった。60年間 。どこかで、「いじめ」は、あった。小学校、中学校、高校、大学、中学校の職場・教室。集団のあるとこには、日本では、「いじめ」は、ある。けっして、認めているわけではないが・・・。あることは、事実。何故なんだろうと考える。(現在、私は、どこの集団にもも属していない。だから、現在は、ない。)
いじめを定義すると、「ちからをもちもの」が「よわいもの」を肉体的・精神的に痛めつけること。
小学校の時は、「いじめ」は、悪ガキがする物だと思っていたが、結構、普通の子も、イジメに加わることがある。私は、人をいじめたことがない、いや、もしかしたら、私のしたことが、「いじめ」と捉えられていたかもしれない。それは、私には、わからない。
なぜ、人は、イジメをするのか。それは、楽しいからだと思う。いじめる側は、「遊び」
子供というのは、「遊び」が大好き。その延長。一度、このいたぶりの快感を味わうと辞められないそうです。私には、わかりません。ただいじめていた生徒の証言。
イジメの構造。イジメは、四つの構造をしているそうです。一つ目は、イジメれっ子二つ目は、イジメをする側 三つ目は、イジメを見ている側 最後に、それを取り巻く集団。 我々教師の指導は、多く、中心の二つに指導に時間を取られる。ところが、そこは、中々変わらない。もちろん、「命」に関わることなので、指導に手を抜いては、ダメです。けど、本当は、第三の見ている人、それを取り巻く集団に「正義」を訴え、イジメは、いけないという世論を作り出す方が、「イジメ」は、止むと本で読みました。私は、自分のクラスでは、「イジメ」は、少なかったのではないか、と思っています。もちろん、私の見ていないところで、やられていたかもしれません・・・・。イジメとは、影でやる、教師、仲間の見ていないところで・・・。やる楽しさもあるようです。生徒は、子供だから、イジメがあるのは、わかりますが・・。どうして、「大人」の職場でも同じように「いじめ」があるのですか?それは、人間の多様性を認めていない。相手の個性を認めない社会だからです。どうしても、能力主義が働き、にぶい人、逆らわない人、自己主張しない人、人付き合いが苦手な人。等なんでも、人と違うことは、イジメの対象になります。
教師集団では、少ないが、時々、校長が、職員室で、先生を大きな声で怒鳴っているのは、まさに「イジメ」。だって、相手は、まがりに「せんせい」と呼ばれる人をみんなの前で叱る。私は、その校長に言ったことがあります。「あなたのしていることは、指導という名を借りたイジメです。もし、本当に指導したいのなら、みんなの前でなく、その人を校長室で、ゆっくり諭すのです。それができないのなら、放っておくのです。」と。
 その後、その校長は、みんなの前で、大きな声で指導は、一応無くなりました。校長レベルで、この程度なんだから。一般社会では、もっとひどい「いじめ」のような言動があると思われます。
 特に、会社では、業績・成績が問われます。いわゆる「ノルマ」という。これを達成できないと・・・。それぞれ一生懸命やっても、業績・成績が上がらない時・・・誰でもあると思うのです。そう言う時、上司は、部下に指導します。それが、相手の「やる気」を喚起するようなことばならいいが・・・。 これは、能力主義、成果主義を取っている今日、企業内では、上司が同僚が・・「できない部下」をいじめやすい。もちろん、中には、相手の個性を認めながら、励ましてくれる暖かい上司・同僚も居ると思うのです。
私は、教育の現場で、イジメのない社会、クラスを創るのは、「人間解放」の思想を持つ生徒を創らなくては、無くならないと思った。
「人間解放」の思想とは、人間の多様性を認め合い。自分では、絶対にイジメに加わらない、仮に見つけたら、それを辞めさせられる人間を増やし、「いじめる側」を諭す。 ま、あくまで、机上の空論です。けど、こういう考えの人が増えない限り、イジメは、続くどこまでも・・・。それをどこかで断ち切ろう。
再見。

455 ブログ455  女心と秋の空。

2013-05-12 00:20:21 | 台湾
日本では、女の気持ちと秋の空が一緒です。変わりやすい例えと思うのです。
台湾では、年中天気が変わります。五月の天気は、いつでも、雨が降る。
 女の人の気持ちは、私は、わかりません。なぜなら、男で、女の人には、成れません。
誰でも、そうですか。普通そうでしょう。両性を持って居る人は、居ませんか?
稀にいます。オリンピックで、ドーピングに引っかかる人がいます。
 それは、特別な人であるのは、わかります。
普通の人は、両性は、ありません。もし、持ったら、困るでしょう。男と女は、何が違うのでしょう。
 そりゃ、女の人は、新しい生命を産みます。女の人しか、わからない世界です。
もちろん女の人には、とても興味があり、見ました。、昔、映画で見ました。
「生命の神秘」という映画。高校二年生位です。こういった記録映画が太好きでした。
あと、ほかに「砂漠は、生きている」砂漠の四季を扱った映画です。
人が生活することは、創り物ではありません。みんな「ドキュメント」。「ライブ」です。 毎日、真剣に生きることが、1日分の進歩を作り出します。

 女の人は、偉大です。だって、自分のあそこから、あんな大きな、赤ん坊を生むことが出来る。この我慢は、女の人しか、できません。もともと、女の人は、生物学的に、我慢強く、男よりも強く出来て居ます。だから、どんなにがんばっても、平均寿命は、女の人を男が超えることは、ありません。それは、毎月、血のにじむような努力を女の人は、しています。男は、せいぜい、「仕事」だけ。
 男は、女に比べて、「痛み」に弱い。
たから、女の人は、尊敬しなくてはいけません。今日2013/05/12は、台湾も日本も母の日です。お母さんは、偉い。だって、自分がお腹空いていても、子供に先にあげ、自分は、我慢。
 私は、もちろん、私の母親を尊敬しています。立派な母でした。ま、よく六人の子供を育て、一生懸命働き、自分の楽しみは、我慢し、・・・・。彼女にとって、子供が大きくなることが、たのしみだったのではないかと思う。母の愛は、「海の様にでかく、澄んでいる。」まさに、生命の神秘の「海」と同じ。この思いは、幾つになっても同じです。
自分の健康、仕事・・・、今日の生活があるのは、母の愛があればこそ。
 私の母は、もちろん、生きていませんが、私の心と私の兄弟五人の中には、いつまでも、生き続けています。現在、お母さんが生きている方は、せめで「電話」でありがとうという感謝の気持ちを伝えましょう。私は、今日、花やで花を買って、母に捧げます。
ものは、なくても、気持ちがあればいいのです。その気持ちをお母さんに伝えましょう。
 では、おかさんに「産んでくれて、ありがとう。」と。
再見。