台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

478 ブログ478 幸せとは、

2013-05-17 18:39:52 | 台湾
また、哲学ですか。そうではありません。
私は、台湾に自分の幸せを求めてきました。
いつも、幸せになりたいと思う間に、・・・・。幸せって、人間の描いた 「幻想」「妄想」の様な物の気がしてきました。
 青い鳥の話ご存じでしょう。あの青いと同じ物を求めているような気がしてきました。
つまり、一番幸せな瞬間は、鳥を探し求めている自分。この姿が幸せであって、見つけた時は、そこには・・・・。何もないような気が・・・。
 わかりません。私は、いつも幸せだから・・・・。
不幸というのを余り知りません。それは、治郎張が世間知らずだから。自分勝手だから。
 だから、あなたは、「しあわせ」なのです。
この、探し求める姿こそ、「幸せ」であって、その先には、何もないような・・・。
ひらがなと漢字では、何が違いますか。
よくわかりません。ただ、ひらがなより、漢字の方がニコニコしているような気がします。本質的には、どっちも一緒。
 
 そうかな。  「しあわせ」 と 「幸せ」 同じですか。 HAPPY 快楽  
いろんな人の幸せ論があっていいけど、私の願いは、ひとつ。
それを求めて、台湾に生活しています。あと一ヶ月で1年。
幸せとは、何もなくて、求めている動作・気持ちを指すような気がしてきました。
本当の幸せは、何なのでしょうか?
幸せという言葉は、ありますが、形。映像。写真。
形に残る物は、すべて、「偽物のような気がしてきました。」
年中、台湾では、「幸福」という言葉を見つけます。
愛=譲我們停止流浪 =助養幸福。
これは、寄付金のお願いでしょうか。
チラシに書いてありました。
 だから、幸せとは、これをしたら、これしなくては、・・・・。
そういう絶対的な物ではなく、求めるこころ。行動する気持ち、そのものが「幸せなのです。」
私の言っていること、おわかり頂けましたか?
そんなに難しいことは、考えて居ません。
要は、「あなたは、いっしょうしあわせ」だということでしょう。
その通り。
再見。

477 ブログ477 落研の「I君」の写真を見つけました。

2013-05-17 18:36:20 | 台湾
偶然、ユーチューブで、「大学の駿河台の記憶 」という昔の大学の記録フイルムを見ていたら。偶然にも、落語研究会の私の同期の「I」君の写真を見つけました。
彼は、独特の話芸の持ち主。けっして「うまい」と呼べる代物でないのだが彼が話すと、全部おかしいから不思議。勉強も、アルバイトもせず、ひたすら、「ギャグ」を考える姿。北区十条に彼の住まいがあり、わたしら、落研の連中のたまり場。
もちろん、かれは、それを大歓迎。麻雀して、つまらないギャグを考え、寝床に入りながら・・・。何日も何日も、・・・。風呂は、たまには、入っていたようですが・・・。
万年床で・・・。ま。良くもここまで、汚くできると感心するくらいです。
I君は、三重県の津出身。彼の故郷で、何日間かお世話になったことがあります。
お父さん、お母さんは、とても良い人。弟もとても良い男。たしか警察官になったようです。そう言う恵まれた環境に育てられて・・・・。
 この破天荒の性格は、・・・。彼は、面食い。綺麗な人を見ると、積極的にアタック。
けど、これが実を結んだという話は、一度も聞いたことがない。2年ぐらい前に亡くなったという知らせを部長の福田から受けました。本当に、良い奴でした。寅さんに似たような性格もありました。
 ただ、なんか、浮き世ばなれしたような男。それと、働くことが余り好きでないようでした。だから、年中、漫才の脚本、ギャクを考えて居ました。
彼の作ったものがたまに「笑点」で採用され、これは、俺が作った物だと自慢していました。確かに、彼の汚いノートと笑点メンバーが言っていることが 同じでした。
 ま。落研のメンバーは、みんな個性的な連中でしたが、将来については、結構:現在は真面目に働いて堅実な生活している人がほとんどなのに・・・。その中で、「i君」は、特別落ち。彼が、何をして生活していたのか、全く知りませんでした。他の連中は、5年に一回ぐらい、連絡取り合い、適当に知って居ますが・・・。
結婚は、しなかったようです。不思議な男。友情も厚く、約束したことは、守る。
ただ、時間と経済観念が全くない。ただ、お笑いのことになると、熱心に研究して、秀作ノートが二・三十冊あったようです余り世の中には、出ませんでしたが、適当にお笑いの仕事をしていたようです。かれは、ギターをもって、「サミーI」という芸名でやっているという話は、昔聞きましたが・・・。
 今、結構お笑いを一生の仕事にしている人も多いらしい。漫才・落語等一流になるには、才能。才能と運。これを持って居て、いつ「芽」が出るか。その辛抱期が10年、20年ざらの世界。キミマロの様に世に出られれば・・・・。ま、芸能界は、そんなに甘い物ではない。どんな世界に生きても、自分が決めたのなら、ぶれることなく、突き進むべし。本当に、才能があるのなら、努力が実ることも・・・。あると信じてやるしかない。
 偶然、ユーチューブで見つけ、「i君」が生きていれば、お前の写真を見つけたぞーと電話でもするところですが・・・。生憎、彼は、すでに、「天国」へ。
ま、日本に帰ったとき、仲間に連絡してみます。
「i君」は、天国では、大スターになっていることでしょう。
再見。

476 ブログ 476 「卒業」という映画。

2013-05-17 04:08:41 | 台湾
 この映画は、音楽で有名です。サイモンとガーファンクル。
どうして、治郎張が洋楽なんですか。
それは、高校二年生の時、1967年に幸子さんとこの映画を見ようと、わざわざ、スカラ座まで、下見しました。その時のことは、以前ブログに書いた覚えがあります。
それ以来、サイモンとガーファンクル。のフアンになりました。
特に、好きなのは、「コンドルは飛んでいく 。」
一度、聴いてみてください。
音楽のことは、わかりませんが、良い曲は、世界中の人がわかります。
日本人で世界に通用する歌手といえば、坂本九。最近では、由紀さおり。
「夜明けのスキット。」この歌には、歌詞がありません。
だだ、「うー。うー。うー。」と言っているだけの不思議な曲。
初めて聴いた時、何これ。これでも音楽。
私の音楽の概念は、・・・。
かわしまえいご。さだまさし。たにむらしんじ。やまぐちももえ。みそらひばり。
ぜんぜん。ゆきさおりという歌手が・・・・。ま、時代。
あと、「ちあきなおみ」「ふなきかずお」「ながぶちつよし」「しまくらちよこ」「よしながさゆり」そう言った日本的音楽しかありませんでした。最近では、「どりかむ」
 この曲以外
に「スタンド、バイミー」も好きです。
和田アキコがよく歌いました。「スタンバイミー」意味は、少しわかります。
こっちにおいで、・・・・。なんか音楽には、不思議なちからがあります。
どんなに絶望的でも、「希望」を持って生きることの大切さを言っているように思います。
人間、絶望の中からは、何も生まれません。
昔、ナチスの収容所でフランクルという人が自分の経験を書いて、世に送り出しました。
その本は「夜と霧」という本です。今も、出版されていると思います。
希望のない人から、死んでいく。次から次へと。
最後に生き残ったのは、「希望」を持った人間だけ。
日本に今、希望は、ありますか。
みんな疲れているんでしょ。疲れたら、休めばいい。
無理は、身体に良くありません。
自然が一番。
 音楽聴いて、元気出してください。
坂本龍一は、世界に通用しているかもしれません。まだ、どんな音楽か聴いたことありませんが。
 いいんだよ、生きていれば・・・・・。
わたしも、まもなくしたら、日本に行きます。
幸ちゃんに会えれば、もっと幸せかもしれません。彼女びっくりすることだろう。
あと、雅代さんにも会いたい。
ま、いろいろなことを妄想するのが私の特徴。今日のブログ、支離滅裂です。
これも、台湾治郎です。
再見。

475 人は、何のために生きるのか?

2013-05-17 02:58:30 | 台湾
  哲学ですか、私には、哲学なんて、いえる物は、ありません。だだ、台湾で元気に生活出来れば良いだけ。
あるわれねぇ。哲学って、何ですか。治郎張教えていたのでは、・・・。それは、高校の倫理・社会。
私は、中学校の社会。地理、歴史、公民。その中に哲学は、ありません。
 難しいことは、わかりません。
 一ついえることは、世界のどの国でも、格差社会が来ていると言うこと。韓国も、かなりひどい。自殺者の比率は、世界一。数では、日本は、世界一。
競争社会。競争教育の付け。『膿』みたいな物ですか。そうです。社会には、
「光と影」があります。生まれつき、金持ちに生まれた人は、金持ち。
 貧乏人に生まれた人は、貧乏。そう言う社会が作り出した,膿。
 無かと傷口にばい菌が入り、自分で傷口を治療したことあります。とても痛い。傷口の「根」の膿を出さないと、すぐにまた化膿します。
子供の頃は、この膿を出すのが楽しみ。だって、根から血の塊と青い、鼻のたらしのような、緑色の膿を両方出さないと、傷は治りません。
 治郎張の生きていた頃、怪我すると、大変なんだ。
怪我はたくさんしました。一番は、兄貴と喧嘩して、頭から、ガラスに、飛び込み、大けが。私の目は、オイワさんに


 それから、二度兄貴と喧嘩して、ガラスに飛び込んだ。どうして、治郎張ばかり。私は、末っ子。母親から、甘やかされ、育ったことに対する、兄貴たちの「焼き餅」
 末っ子には、末っ子のつらさがあります。
私には、昔から、『哲学』なんて、高尚なものは、ありません。
そんなこと考えたことも。
「生きてりゃいいさ」「生きてりゃいいさ」「生きてりゃいいさ」「生きてりゃいいさ」
           再見。