夜は、人を変えます。昼考えたことと、夜考えることは、全く違います。人間が、妄想するからだと思うのです。 わたしも、同じ、妄想教です。
世の中の犯罪は、夜に起こるのではないか。起きた時ではなく、いつ考えるのかということです。きっと、夜考え、昼間余り考えもせず、実行したのでないか。
だって、夜考えたことをそのまま実行しょうとると、どうも無理がある。それは、夜が理想的に、考えるのに適しているからだ。ところが、それを再び、昼間考え直すと、実現には、いくつかの壁があることに気づく。そう言う経験は、私だけだろうか。
同じ人間が考えることが、昼間と夜では違う考えが浮かぶから不思議。昼間考えたことは、どうも面白くない。ところが、夜になると、いろいろアイデアがふくらみ、
豊かかになったという経験。
なぜ、人は、昼と夜とでは考えが異なるのだろう。昼間は、事務的・現実対応には、ぴったし。ところが、アイデアをふくらますとか、新しいことを思いつくのは、夜の方が適していないでしょうか。
まるで、男と女のような違いのような。一つの人間から、一つは、昼間考えたこと。もう一つは、夜考えたこと。どちらも同じ人間から、生まれた物だが・・・。考える基盤が
夜か昼間の違い。夜は、静か、夜は、物思いに適している。涼しい。一人の世界を構成しやすい。
これから、脳科学が進み、昼の頭と夜の頭では、何が違うのか明らかになってくることだろう。私は、科学的なことは、わかりませんが、経験則からいうとかなりの違いがあるのではないかと思っています。本当に自分でも根拠は、ありません。
もしかしたら、昼も夜も活動的という人も居るかもしれません。逆に、昼も夜も妄想的に生きている人も・・・。いろいろタイプがあるんだろう。私は、昼間は、妄想することは、少ない。夜は、好んで妄想に入ります。 これは、私にとっては、自然なことです。
子供の時から、そういう習性を身につけていたようです。あくまで、個人差があると思いますが、皆さんどうでしょう。
こころと妄想も違います。妄想は、頭でするもので、こころは、もっと深いところにあるように思います。
話が飛びますが。麻雀している時は、現実です。その時、切る牌は、頭で、これを切れと命令してきます。けど、時々、こころがそんな弱気でどうするもっと、強気に行けと。
脳とは、全く別の声が聞こえてきます。私は、その聞こえる声に従って、打つことが多い。どっちが良いのか、わかりません。けど、脳の通りは、一度もない。自分の中では、いつも麻雀は、闘い。自分との。他人がどうのこうのありますが、まず自分なのです。
自分の信念を貫いて、負けても、次にそれで勝てばいいのです。ところが、脳の通り、やって、勝つても嬉しくないのです。やはり、自分の「スタイル」を貫く打ち方の方が仮に負けても、勝つことも目的なのですが、自分のスタイルも大切。両方両立させながら、勝つのが理想。物事、そんな甘くないが、ゆういうやり方で、麻雀をしてきました。 つまり、これも脳とは、違うところで、決定を導き出していると言うことです。
不思議ですね。人間の思考・決定とはどのように為されるのか。まして、麻雀は、夜の方が多い。夜の考えでやっているわけでなく、昼間の思考で打っている。
昔、ピーターという歌手が「夜と昼の間に」という歌を歌ったことがあります。もう、知って居る人は、少ないと思いますが・・・。
皆さんも、一度、一つのことを昼の考え。もう一つは、夜の考え。二つ考えてみてはいかがですか。
再見。
世の中の犯罪は、夜に起こるのではないか。起きた時ではなく、いつ考えるのかということです。きっと、夜考え、昼間余り考えもせず、実行したのでないか。
だって、夜考えたことをそのまま実行しょうとると、どうも無理がある。それは、夜が理想的に、考えるのに適しているからだ。ところが、それを再び、昼間考え直すと、実現には、いくつかの壁があることに気づく。そう言う経験は、私だけだろうか。
同じ人間が考えることが、昼間と夜では違う考えが浮かぶから不思議。昼間考えたことは、どうも面白くない。ところが、夜になると、いろいろアイデアがふくらみ、
豊かかになったという経験。
なぜ、人は、昼と夜とでは考えが異なるのだろう。昼間は、事務的・現実対応には、ぴったし。ところが、アイデアをふくらますとか、新しいことを思いつくのは、夜の方が適していないでしょうか。
まるで、男と女のような違いのような。一つの人間から、一つは、昼間考えたこと。もう一つは、夜考えたこと。どちらも同じ人間から、生まれた物だが・・・。考える基盤が
夜か昼間の違い。夜は、静か、夜は、物思いに適している。涼しい。一人の世界を構成しやすい。
これから、脳科学が進み、昼の頭と夜の頭では、何が違うのか明らかになってくることだろう。私は、科学的なことは、わかりませんが、経験則からいうとかなりの違いがあるのではないかと思っています。本当に自分でも根拠は、ありません。
もしかしたら、昼も夜も活動的という人も居るかもしれません。逆に、昼も夜も妄想的に生きている人も・・・。いろいろタイプがあるんだろう。私は、昼間は、妄想することは、少ない。夜は、好んで妄想に入ります。 これは、私にとっては、自然なことです。
子供の時から、そういう習性を身につけていたようです。あくまで、個人差があると思いますが、皆さんどうでしょう。
こころと妄想も違います。妄想は、頭でするもので、こころは、もっと深いところにあるように思います。
話が飛びますが。麻雀している時は、現実です。その時、切る牌は、頭で、これを切れと命令してきます。けど、時々、こころがそんな弱気でどうするもっと、強気に行けと。
脳とは、全く別の声が聞こえてきます。私は、その聞こえる声に従って、打つことが多い。どっちが良いのか、わかりません。けど、脳の通りは、一度もない。自分の中では、いつも麻雀は、闘い。自分との。他人がどうのこうのありますが、まず自分なのです。
自分の信念を貫いて、負けても、次にそれで勝てばいいのです。ところが、脳の通り、やって、勝つても嬉しくないのです。やはり、自分の「スタイル」を貫く打ち方の方が仮に負けても、勝つことも目的なのですが、自分のスタイルも大切。両方両立させながら、勝つのが理想。物事、そんな甘くないが、ゆういうやり方で、麻雀をしてきました。 つまり、これも脳とは、違うところで、決定を導き出していると言うことです。
不思議ですね。人間の思考・決定とはどのように為されるのか。まして、麻雀は、夜の方が多い。夜の考えでやっているわけでなく、昼間の思考で打っている。
昔、ピーターという歌手が「夜と昼の間に」という歌を歌ったことがあります。もう、知って居る人は、少ないと思いますが・・・。
皆さんも、一度、一つのことを昼の考え。もう一つは、夜の考え。二つ考えてみてはいかがですか。
再見。