台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

436 ブログ 336    私の癖

2013-05-07 20:52:03 | 台湾
未来予想図Ⅱを久しぶりに聞きました。大学行っている頃は、毎日聞いていましたが、最近は、余りウオークマンを持たないで生活していましたから。
久しぶりに聞くと、一つ一つの歌詞が新鮮に感じます。
「卒業してから、もう3度目の春、相変わらず、そばにあるおなじ笑顔。
あの頃バイクで飛ばした家までの

私をおろした後、ブレーキランプ、五回点滅。

愛してるのサイン。五回メットをぶつけていたあの合図、
ずっと心に描く、未来予想図は、かなえられていく。


時々二人で、開いて見るアルバム、
まだやんちゃな写真たちに笑いながら
どれくらい々時間いたかしら

こんな風にさりげなく過ぎていく毎日を、
ふたりでバイクのメット五回 ぶつけていた。

サイン変わった今も、素直に愛してる。
きっと何年経っても、あいわらず 愛している
ずっと心に描く未来予想図は、思った通りにかなえられていく
ほら、思った通りにかなえられていく。」
 私は、台湾に来て、いつも自分の未来予想をしながら、師範大学の屋上で妄想していました。たばこを吸いながら・・・。
そして、私は、いつも自分の好きな女の子に好きと素直に言えず、「からかう」ことで愛情表現していました。だから、私の人生に得恋をしたことがありませんでした。
子供なのです。大人に成りきれない「子供大人」
だだ、このドリカムの歌の通り、いつまでも「あいした人」をずっーとアイテイル。この気持ちは、いつも変わりません。現在、六十一歳でも、心は、十七・八歳なのです。
馬鹿と言えば、馬鹿です。けど、人間って、こんな馬鹿な側面をいつまでも持って居るものはないでしょうか。皆さんも、年を取るとわかります。
 先日のブログでは、失礼なことを書きました。これも治郎流の「愛」として、受け止めてください。
 けど、不思議です。高校卒業してから、もう四三年過ぎても、あの頃の想いは、いつまでも、自分の脳裏から消えることがない。だって、昨日覚えた中国語は、今日すでに忘れているのに・・・。それは、記憶するところが違うからです。中国語は、前頭葉で。高校時代のことは、こころで覚えているから。刻むところが違うのです。そりゃ、そうだ。
心の中は、そんなにたくさん入りません。ところで、中国語は、進んでいますか。
ぼちぼちでんな。こんなモンです。私の進歩は。「慢慢進歩了」
                                再見。

335 ブログ435 幸せは、一色ではありません。

2013-05-07 00:05:33 | 台湾
たくさんの幸せ論があっていい。なぜなら、「幸せは、自分の心が決める。」
あいだみつおの言葉です。
だから、百人居れば、百通りの幸せがあります。
もちろん、私は、私の幸せを求めて、生活しています。
自分の周りの人、全部私の気に入った人だけで社会を作りたいものです。だから、そう言う社会を作るのは、大変です。
 「人を蹴落とすような」人間は、私の周りには、いません。そう言う人とは、つきあいません。それと、恐ろしく口のうまい人も大嫌いです。自分への自信過剰な人も・・、自慢ばかりする人も、つきあいません。
いいだよ。
私は、自分のまわりは、私の好きな人だけで固めて・・・。
その方がお互いの幸せです。
 もちろん、仕事となると、そうはいかないかもしれません。
いろんな人とつきあわなくてはなりません。
自信過剰の校長とも、自信過剰の先輩とも・・・。いろんな人が居て、今日の社会が作られていますから・・・。
今は、私は、仕事していません。
 人生いろいろ。幸せも、いろいろあっていい。
お互いの領域さえ、保っていればいいのです。それぞれの境界が・・・。
私は、時々、師範大学では、ご迷惑をおかけしました。
年中、ご迷惑をかけるこの親父は・・・。
まったく。どうしょうもないんだから。
勘弁してください。後この世に居るのも、二十年ぐらいですから。
そうすれば、私の迷惑も、「笑い話」に成らないか。
また、先日は、教え子にご迷惑をおかけしました。
 年中治郎張は、しているじゃん。
その辺がこの馬鹿親父の欠点。一回失敗して、再び・・・・。
これを繰り返す人は、はやくあの世へ行ってくれた方が・・・。周りの人にとって幸せかもしれません。ところが、世の中は、不思議です。良い人は早く死ぬけど、憎まれる人は、長生きします。治郎張は、どっちですか。
もちろん、後者です。
全く困ったもんだ。この人は・・・・。
では、私は、ブログを書くことでたくさんの人が迷惑していることを知りつつ、これからも台湾から、書き続けま             す。そう言う、図々しい人は、早く・・・、ください。
そうも如何のじゃ。まだ、私の幸せは、未完成ですから・・・。早く完成したいですが、まだ、後、九年と二ヶ月あります。そしたら、大本生活の十年が終わります。終わったら、もう・・・。ブログは、止めますか。わかりません。今度は、マーレシア治郎が始まるかもしれません。
そんなに長生きできません。それは、私が決めることではありません。仏様、神様が決めることです。
再見。

434 ブログ434 学歴は、人間を幸せにするか? 2

2013-05-07 00:01:43 | 台湾
大学へ行く目的が、探しながら、勉強する人は、・・・・。迷いながら、ああ生きよう、こう生きよう場当たり的な生き方。そう言う人は、自分の人生をきっと後悔します。
だから、むしろ、行かない方が、学歴に頼りません。学歴は、ワッペンです。そう、東京大学卒業。早稲田大学卒業。慶応大学卒業。このワッペンで食べていけるでしょうか。
もちろん、本当に頭の良い人は、変化にも対応する力があります。そう言う人は、大学生活がもしかしたら意味あると居うるでしょう。
 もし、君が変化に対応できないとしてら、その学歴は、意味ありません。
現代は、変化がとても激しい。この競争社会は、のんびりしていたら、乗り遅れる。
一回乗り遅れると、もう、非正規社員の道・・・・。これでは、学歴の意味がありません。
それなら、最初から、「学歴」に頼らない生き方の方がいい。
例えば、立川談志。彼は、確か、工業高出身です。ラジオの伊集院光は、高校中退です。
ま、たまたま芸能界で例えましたが、実力の世界です。つまらない人は、売れません。
だから、そういう実力も無い人にとって、学歴は、意味ありますか。
 もし、あるとしたら、「大学行ったことで、行かない劣等感を持たずに済んだ」それぐらいです。そういう、劣等感こそ、人間を成長させるのではないでしょうか。
私は、「どもり」でした。だから、一生懸命話すことを勉強しました。学校の勉強より
「話すこと」の方が重要だった。だって、教師で「どもり」は、生徒に馬鹿にされます。
劣等感こそ、バネにして生きるのです。そうすると、いつの間にか、乗り越えられます。
劣等感に負ける人は、最初から、負けています。自分に。
自分に負ける人は、世の中にも、・・・・。挫折した時、立ち上がる勇気こそ、大切です。勇気がない人は、どこかで引きこもります。負けては、ダメです。
生活するのは、「恥ずかしさ」「世間体」を乗り越えて、行く必要があります。
この乗り越える「ちから」こそ、生きる力です。
 人は、それぞれ生い立ちの中で、「生きる力」を身につけます。それが強い人、弱い人。
家庭環境が大きく影響します。片親の人は、大変です。経済的に貧しい人も大変です。
けど、それは、自分の宿命として、受け入れ、前向きに生きていく以外無いのです。
貧乏と友達にいきることもあるでしょう。いろんなハンデを乗り越える以外にないのです。
だって、自分の人生ですから。
 だから、私は、大学をデルでないかは、少し、条件、資格がないことハンデですが・・・。なまじ、学歴は、必要ないのです。もちろん、大学を全面否定するつもりは、ありません。大学には、退学生活の意義がそれぞれあります。
「みんな違ってみんないい。」
 けど、なまじ大学を出たことが「柔」な人間を再生産しているように思うのです。
教育の目的は、希望を語ること夢を育てることにあると思うのです。現在の大学がそうなっているかわかりません。だから、断定しないのです。
だから、大学に行くことは、必ずしも、幸せを作る手段に成るとは限りません。
ま、自分が大学を出たから、そういえるのかもしれません。
再見。