台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

872 ブログ872 すべてのことにコツがある。

2013-12-13 22:27:20 | 台湾
変な話ですが、私の家の入り口の鍵が変えられた。新しい鍵は、もちろん、貰いました。
ところが、その鍵が変なのです。どうも、簡単に開く日と十五分ぐらい色々な方法で、試さないと開かない日があるのです。

 結構、毎日苦戦しています。他の人は、そんなに苦戦していないのに・・・。わたしだけ。
理由は・・・?いつも、何通りか開ける努力をしますが・・・。簡単に開く日と全然びくともしない日が出来てしまいます。

 きっと、わたしがまだ開けるコツをつかんでいないためだと想います。これと同じように、中国語もなかなか簡単に扉が開きません。
すこしは、勉強していますが・・・。

 おそらく、この家の鍵を開けるコツと中国語を開ける扉は、一緒。
悔しいがこれが現状です。自分の身体をくぐり、苦労して身につけた者しか身につきません。まだ、まだ。苦労が足りないと言うことだと想います。

 毎日のことですから、結構時間を無駄にします。だって、玄関の入り口で十分、十五分闘って居る姿は、変でしょう。

傍から見ると、きっと変な人に写っています。しかたありません。コツをつかんでいないから。

私は、物事には、すべてコツがあると想っています。もちろん、私が不器用な為もあります。けど、自分で身につけない限り、これは、困ります。

開くときのコツ直ぐに忘れ、また最初から。毎日毎日こんなことをしています。

 きっと、皆さんには、この苦労「わからねぇだろう。」

自分で乗り越えなくては・・・。物事は、人から教わることもありますが、有る部分は、自分でやらないと進歩しません。

誠に、変な話ですいません。
 今度は、コツをつかむよう頑張ります。
                      再見。

871ブログ871 デートの報告。

2013-12-13 20:14:53 | 台湾
2013/12/13今日は待ちに待ったデートの日です。
 あいにく、台北の天気が悪く、少し雨降りでした。しかも彼女の足が悪いらしく、「びっこを引いてきました。」現在「びっこ」と言う日本語は、
ないようですが。一応いろいろデートコース考えていきました。四つ。一 カラオケ 二 学習  三 映画  四 大学 

 直ぐに、判断しました。彼女は、余り歩くことができません。だから。近くの喫茶店でお茶を飲みました。私のコーヒ、彼女は、紅茶。
その店は、お金を先払い、その為、彼女に払って貰いました。男の私が御馳走になるのは、嫌なので、帰りに渡そうと想いましたが、彼女は、受け取りません。喫茶店で彼女には、わたしが「日本語」彼女は、私に「中国語」を教え会いました。ま、言語交換といいますが、ま。それでもいいか、と思い
色々なことを話しました。今度は、一緒に「カラオケ」をしょうと約束しました。

 彼女の生活は、主婦。けど、幸せのようでした。日本の主婦の様に、「食事」は、作りませんが・・・・。
日本人から、みるととても不思議。だって、一番食事が愛情が表れます。

 私の奥さんは、私が帰ると毎日『味噌汁』だけは、美味しいのを作ってくれます。それは、私が一番好きなもの。もちろん、美味しいご飯を炊いてくれます。台湾では、主婦だったら、食事ぐらい作る「時間」あるだろうに・・・。これは、食習慣の違い、女の人にとって、この方が楽です。
共稼ぎの時代で、忙しいからでしょうか?

彼女は、一年に一回日本へ行っていました。日本語は、そんなにうまくありませんが、さすがわたしが師範大学の教科書だしたら、スラスラと中国語が
飛び出しました。当たり前ですが・・・。子供の話や孫の話を聞かせてくれました。この人は、本当に「しあわせ」です。自分も健康で、家族も。
 しかも、外出も自由に出来ます。この幸せを私が壊すわけ有りません。私は、自分で自分の話をしました。イイ加減な生活をしていること、毎日、お酒を飲むこと、ブログを書いていること、もうすぐ再び大学生活をすることなどなどたくさん話しました。
 彼女も同様。ここでは全部書きませんが、けどこれだけは、確か。彼女は、いわゆる「良い人」です。だから、わたしも「良い人」を演じます。

私は、本当は、「良い人」ではありません。いつも「下心」を持って居ます。男で有る限り、仕方有りません。男でない私は、いません。
もちろん。教師しているときは、生徒には、「下心」ありません。当たり前です。卒業すると、生徒も大人になり・・・。その時は、少しは、持ちました。

 男で有ることは、しょうがありません。人間の『性』。だから、今日は、お話だけ。ただ一つだけ約束しました。帰ったら、私は、中国語で彼女に、Eメールを送ると、彼女は、日本語で送り返すと。
これから、彼女とわたしは、『メール』友になることになりそうです。
私が彼女に送った中国語は、以下のようなものです。林愛満へ  この中国語の漢字正確に書けません。だから、みなさにには、原文と違う漢字に変換しています。あしからず。

 謝・謝您
我得請客、可是您請客。
下次 我請客。對不起 我的中文不好。慢慢進歩了。
 我只想当跟你朋友。我一点有 聴不懂看得懂。
 下次 我想一起 跟您卡垃0K唱歌
我想您的歌好聴。我唱歌不好。 我在有一点音痴。可是我喜歡卡垃0K。
中文跟一様的。慢慢進歩了。
 今天 謝・謝您
           松木 治郎より 
   再見。

870 ブログ870    受験期の成長。

2013-12-13 13:31:09 | 台湾
公立中学校でしたから。三年生になるとみんな受験をしました。三年に一回。その三年の担任をしました。受験というのは、生徒にとってとても負担で重荷。もちろん、担任にしても同じです。三年は、一年生や二年生を担任するより、ある意味楽しい。それは、受験は、生徒を鍛える手立て(-方法)としてみれば、生徒は、受験を通してある意味少し大人に近づきます。
 私の知って居る生徒で、三年間私が担任という生徒が何人か居ました。その生徒の偏差値は、真ん中より少し下。もちろん、偏差値ほど当てにならないものだと言うことを重々知って言っています。そのAくんの家庭では、父親に反発。お母さんは、優しいのですが、父親がワンマン。その親父への反発がその子は、すごかった。たまたま受験期と反抗期がぶつかり、適当に荒れた時期もありましたが・・・。
 彼は、三年生になり、私のクラスの学級委員になりました。自分で立候補したのではなく、周りから押され、いやいや。ところが、やらせてみると、結構これが一生懸命やる、
私もびっくり。みんなも同様の評価。
「立場は、人を変える」
学級委員になってからの彼は、勉強も、みるみる内に上がり始め、三学期の頃は、中の上55位の偏差値を出せるように変貌しました。そして、かれは、その自信に基づいて、
受験校を公立一本に。しかもそこそこ有名な受験校。
内申書と彼の力を計算すると、少し足りません。従って、受験高を変更した方が良いというのが学年教師の一致した意見。それを三者面談に、親と本人に相談しました。
親は、納得しているのですが、彼は、頑と言って、聞き入れません。
 もうそりゃそれでやらせるしかないと・・・。落ちたアトのことを教師として考えるしかない・・・。彼は、受験までの日々を必死に勉強しました。もちろん、塾へ行かせることもなく、自分で。
 結果は、見事に落ちてしまいました。わたしがびっくりしたのは、不合格後かれが私の元へお礼に来たのです。「先生、結果的に駄目でしたが、僕を信じて、受験させてくれてありがとう。」落ちた人間から、ありがとうと言われたのは、それが最初で最後。こいつ。成長したな。それを家の人にも言うのだよと言って帰しました。
二次募集の学校探し。結果的に、埼玉県で、一番不便な学校へ通うことになりました。
そして、不便な学校へ通う彼の姿を想像しましたが・・・。
「辞めるめるなよ。卒業しろよ」と送り出しましたが・・・。
 風の便りに、彼が高校中退したと聞きました。そして。現在は、働いているというのも。他の生徒は、時々会うことが出来たのですが、その生徒だけは、卒業後会わずじまい。
今頃、受験生の親父をやっているのでは、と想像しています。
 受験勉強は、確かに楽しいものではありません。ただ、受験というは、目標物がはっきりしているから、やる気になれば、コツをつかめば・・・。何とかなるものです。
正に、一つの闘い。終わってみると、こんなものかと。わかるその値打ち。
ま。日本という国に生きる若者の宿命。ある方が良いのか、ないのがいいのかよくわかりません。受験の機会だけは、平等に残して欲しいものだと思っています。
        再見。