102歳でした。
僕は生まれたときから祖母の近所に住んでおり、家の裏で
いつも祖母が畑仕事をしていました。
だから、たいていの野菜は、祖母がつくったものを食べて
いたので、野菜は新鮮でしっかりと味がするのが当たり前だと
思っていました。
もしかしたら、僕が鉄人(小中9年間皆勤)でいられるのは、
そのおかげかもしれませんね。
たぶん、僕が大学生のころ、つまり祖母は90歳ぐらいまで、
ずっと畑仕事をしていたと思います。
大学生のときは、
「はよ、結婚しいやー。おばあちゃんが生きてる間に。」
なんて、よく言われました。
ただ、実際に結婚したときは、祖母の体調が思わしくなく、
結婚式に参加してもらうことはできませんでしたが。
あらためて考えると、102歳とは1905年(明治38年)生です。
うちの次男は、2006年1月生なので、100歳半違います。
ものすごいことだと思います。
だから、国からも賞状と銀杯のお祝いがあるのですね。
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1905年とは、日露戦争が終わった年で桂太郎内閣です。
また、祖母は第二次世界大戦で二人の息子を戦場に送って
います。
どんな想いだったのでしょう。
戦後の混乱期を親として生きてきた祖母には、どんな苦労が
あったのでしょう。
もっと、話をしたかったなあ・・・。
と、まあ、私事で感傷に浸るのはこのぐらいにして、連絡です。
金曜日の午後にお葬式があるので、金曜の塾の開室時間が
遅れます。
(詳細は、別途連絡します。)
自習しようと思っていた生徒、ゴメンネ。