でも気温は低く、昼になっても結構冷え込んだ日々が続いているように思えます。こうなると早く春にならないかと待ち遠しくなったりします。
さて今回は少し「南無妙法蓮華経」について、少し思う事を考察します。
創価学会では原田会長を筆頭に、このお題目を「宇宙根源の法」とか「宇宙を貫く法則」なんて事を言っています。まあこの考え方の淵源は、池田氏の語る内容があるかとおもいますが、恐らく多くの創価学会の活動家は、この事についてあまり深く考えずに「そんな事もあるのかな」程度に認識して語っている程度だと思われます。
まあ一部にはこれに絡めて、エントロピーの法則なんて物理法則に絡めて語る人も居ますが、果たしてその人達が、どこまで思索を重ねてそんな事を語っているの、甚だ疑問があります。
そもそも「法則」とか「法」と言うのは、どの様な事を指すのでしょうか。
一般的に法則と言えば、必ず再現可能な動きをするもので、その内容としてはパラメータが明確であり、理論的かつ論理的な内容である事だと思われます。
創価学会では、日蓮の唱えた「南無妙法蓮華経」を、宇宙の法則と呼んでいますが、それは一体どの様な事を指しているのでしょうか。
日蓮の唱えた「南無妙法蓮華経」には、どの様な意義があるのか、先ずはそこを考えなくてはなりません。そこは御義口伝に示されています。
しかし、そもそも創価学会が言う「宇宙」という事ですが、これは英語でいう「Spacs」の事を指すのか、それとも「Cosmos」を指すのか、実は明確に述べているものはありません。要は物理的な宇宙を指すのか、それとも形而上の事を含むものをさすのか。日本語では共に「宇宙」なのですが、一体どちらを指し示しているのでしょうか。
日蓮が述べた「南無妙法蓮華経」の意義について、以前に以下の記事でまとめました。
ここで語られているのは、簡単に言えば、因果倶時で不思議の法が語られているのが「妙法蓮華経」という経典であり、それに対して帰命するという事が、お題目の意義だと言うことです。そしてここでは「妙法」と呼び、不思議な法とも呼んでいますが、その具体的な内容は一念三千であり、それはこの法華経にある「二乗作仏」と「久遠実成」により示されたものから構築された理論であり、端的に言えば私達の心の奥底の根源に仏というものがあり、それらの働きが私達の人生に現れているという事を指すのです。そしてそれは「諸法実相」と呼ばれ、私達の内面的な心の働きは、自身の内面世界に留まらず、社会や住む環境をも決定しゆく存在であると言うことだと言われているのです。
これのどこが「宇宙根源の法則」と言うのでしょうか。仏教とはどこまで言っても「内道」であり、そこで焦点を当てているのは「人の心」の事なのです。それをもって宇宙を語ると言うなら、それがどの様に宇宙と関連するのか、いや、そもそも宇宙とは如何なるものであるのかを、先に指し示して説明する必要があるのですが、残念ながら日蓮も釈迦も、この宇宙という事について詳らかな説明はしていません。
私は仏教をもって語るなとは言いません。でも語るのであればしっかりと文献を示し、その内容を具体的に語らなければならないと思うのです。しかし残念ながらネットに見られる創価学会の活動家達の言葉というのは、とても曖昧模糊な話に終始しており、ふわっとした根拠をもって、さもそれが優れた思想であるかのように語っていますよね。
では宇宙の法則というのなら、宇宙の存在意義はどの様なもので、この宇宙に生きる私達と、その宇宙の存在意義について、個人的な思い込みではなく、どの様な理論がそこにあるのか、そこをまずは語るべきではりませんか?
先にも述べたとおり、南無妙法蓮華経というお題目は、どこまで突き詰めても、私達の心の内面の事を指し示しています。ではそれと宇宙には、どの様な関連性があるといい、このお題目でその事をどの様に表現されてるのか、しっかりとまずは説明してほしいものです。
日蓮大聖人様の唱えたお題目、また認められた御本尊(文字曼荼羅)は、宇宙の根源の法の当体だというのであれば、そこもしっかり説明がなされて然るべきであり、そんな事を曖昧にふわっと語りながら、エントロピーの法則だ何だと言ったところで、そこには怪しさしか生まれてこないですよね。
昨今、創価学会に新規会員が増えないのも、また若手が全然集まらないのも、実はそんなテキトウな姿勢にこそ原因があるのでは無いかと思いますよ。
正直、こんな理屈でネットの中でマウント取るのなら、そういう事も語って欲しいものですね。まあ得てしてそんな人達は、思索も浅いので無理だとは思いますけどね。