最近の世の中の話題は、新コロナウィルスの問題で持ち切りです。
安倍内閣は最近になって「中国や韓国からの入国制限」を発表しましたが、私が思うに、この決断は遅きに逸していると思うのです。そういった強権発動は、初動の時に行ってこそ効果があるわけであって、今の日本では多くの「クラスター(感染集団)」がありますし、恐らく報道されていないクラスターなども多く存在すると思います。(私は通勤電車クラスターとか、パチンコクラスター等もあるかと。。。)
確かに中韓からの入国制限には、少し意味があるかもしれません。しかし国外から流入を止めたとしても、既に国内に発生しているこの様な状況に対応できなければ、結果として今後の国内の感染拡大を防ぐ事は出来ないと私は考えているのです。
この新コロナウィルスの騒動と、それに対する安倍政権の初動のまずさ。これの根底には「国家の安全保障」への意識の低さが表れています。
私は今の人類社会で「国家」として生き残るためには、この「国家」という事、またその国家に対する「安全保障」に対する国民の理解が必要だという事を、以前のブログ記事でも書いてきました。しかし本来、人類社会に求める姿という事を言うのであれば、国家も必要なければそれに対する安全保障等も考えないで済む人類社会でなければならないと思うのです。
ここで認識しなければならない事は、今の人類社会のレベルというのは、そういった「国家」とか、それに対する「安全保障」という事を考えなければならない限り、国家や民族が生き残っていく事が出来ない社会であるという事です。
今の世界の様な「モザイク状態の人類社会」のままで、地球上に存在する人々が民族や国家を意識し、その国家の安全保障を考えなければならない状態が続くのであれば、人類はこの先、そう遠くない時期に、大きなカタストロフ(自然界および人間社会の大変動)を経験するのは必定では無いかと感じているのです。
ここに大きなジレンマを私自身は感じているのです。
国家やその安全保障を考えない限り、民族はこの人類社会で自主独立をする事は出来ない。しかしその国家という概念をもったままでは、人類は遠からず大きなカタストロフに直面してしまう。
聞いた話ですが、最近話題のAI(人工知能)に現在の人類の置かれている状況や課題をパラメータとして入力し、未来予測をさせたら「滅亡」の回答しか出てこなかったと言います。これは様々な人工知能に対して入力しても、出てくる回答は同じであったと言うのです。
この人工知能の回答と、先に述べた私が感じているジレンマが、果たして同じ事を指向しているのか、それは判りません。しかし今の人類社会を冷静に考えてみれば、誰でも同じ回答にたどり着くのではないでしょうか。
私は今の人類が根本的に抱えている課題は、こういう事ではないかと考えているのです。それは私がジレンマとして感じている事です。
◆人類の課題解決への方途
この人類の抱えている問題を解決する方途の一つとして、やはり法華経の思想というのはとても重要な示唆を与えるものではないでしょうか。
この様に言うと創価学会の活動家あたりでは、「ほらみろ、池田先生の思想が世界で希求されている事を、お前も少しは理解できたのか?」と言ってきそうです。
しかしそもそも創価学会の思想とか、池田哲学なんてものに、私は少しも期待を持っていませんし、むしろ「勝ちまくれ!」なんて言葉を紡ぎ出し、その池田会長に心酔して組織の事を本気に思い、意見を言う人間にスラップ訴訟で報い、脅して発現を封じる様な組織を作り出す思想や、その思想を作り出した人物には、私は微塵も期待をしていません。
法華経の思想とは、私が思うに「自分と他者」を分離して考える思考ではなく、「自分と他者」を同質な存在として理解を即す思想であるのではないでしょうか。
そしてこの法華経を「後々の世に広宣流布して断絶させてはならない」という事は、この「自分と他者」を分離する思想に対する挑戦を常にしていかなければならないという事を言っているのではないでしょうか。
そしてこの思想は何も法華経(妙法蓮華経)に限られるものではなく、多少なりとも「人間」を考える思想や人物であれば、容易に感づく事の出来るものではないかと思うのです。
今回はここまでとして、今後、こういった事について、もう少し掘り下げた内容について書いてみたいと思っています。