昨今では「オーバーシュート」なる横文字が活発に報道されていますが、要は大流行という事でしょう。イタリアの現地の映像を見ましたが、教会に棺桶が並ぶ状況には戦慄すら覚えます。つい一ヶ月前まで、その風景は中国の武漢の情景でしたが、いまやヨーロッパに移った感じがします。
無論、元々の根源である中国は「抑え込み成功モード」で、様々な動画が上げられている様ですが、昨日、中国の武漢で再拡大の兆しがあるという報道も流れていました。
私が個人的に懸念しているのは、アフリカ諸国に拡大が進んだ場合、より悲劇的な事が生じるのではないかという事です。衛生面や医療施設のインフラ面、また人々の習慣等を考えると、アフリカでも急速に拡大するのではないでしょうか。
振り返ってみると、こういった「パンデミック」は人類史の中で、百年毎に起こっていました。スペイン風邪は1918年から1919年。1800年代にはコレラ。1500年代には天然痘。その前にはペスト等。過去の時代は医療も進んでなかったので、多くの犠牲者を出しながら、人類は生き残ってきたと言えます。
そこから考えると、今回のコロナウイルスによる武漢肺炎などは、人類社会の中で、まだ惨劇という状況にはなってません。ただ問題なのは、現代はグローバル化した経済のつながりがあり、この様な伝染病が拡大し、経済活動が低迷すると、得てして人類社会は混乱し、そこから戦乱へと移行してしまうという懸念が大きくあるのではないでしょうか。
こう考えると、この「経済」という事、いや、その根底にある「資本」という事は非常にそら恐ろしい事に感じてしまいます。人間(ホモ・サピエンス)という我ら種族は、社会的な生物です。そしてその社会の中で生きていくにも、いまの構造では資本(お金)の流れの中にいないと、社会の持つ様々なサービスを享受できず、生きて行く事すら困難です。
この事を簡単に言えば、お金を持っていなければ、食料にもありつけず、住む所すら確保できず、高度な医療があったとしても、その恩恵に預かる事すら出来ないのです。つまりお金は個人が人類社会の中で生きて行くには、不可欠なモノなのです。
例えばいま話題の「東京オリンピック開催の可否」についても、その背景には国際オリンピック委員会(IOC)が、アメリカのテレビ局から放送権という事で、多額の資金を得ています。だからもし中止となれば、そこで発生する損害賠償などは巨額に登り、大きな混乱を招く事が想定されます。バッハ会長が優柔不断に見える背景には、そんなIOCの事情があるようです。
日本の対応についても、恐らくそんなお金(資本)に纏わる様々な縛りというのが、存在するのでしょう。
仏教では、人の心の中には第六天魔王(他化自在天)が居ると説きます。これは他者を自在に操る事で、幸福を感じるという働きですが、私はこの姿が現代で一番現れているのは「資本(お金)」だと思っています。人はお金のためなら、容易に信念や信条を捨て去る事が出来ます。
よく考えてみて下さい。昨今、話題としてぶり返して来ている森友学園の事についても、政治腐敗だ安倍総理はけしからんだと言いながら、その根底にあるのは「お金」です。また先にも述べたように、東京オリンピックの一連のイザコザの根っこにもお金が絡んています。戦争が起きるのも資本が関与し、武漢肺炎の感染拡大の問題の根底にあるのもお金です。
人類を自在に操っているのも、この資本ではないでしょうか。
そして興味深い事ですが、今の国際社会で紙幣の発行権を持っている中央銀行の大半は、政府とは別の独立した組織です。日本も日本銀行という株式会社ですよね。
ここで考えなければならないのが、そういった中央銀行を操っているのは、どんな存在なんでしょうか。日本銀行を例に取れば、その「株主」の大半は非公開です。
この仕組みって、一体何なんですかね?
こういう事を考えたとき、やはり今の人類社会には「幕間の脚本家」が居るような気がしてならないのです。これはあくまでも私個人の私見ですけどね。
ここからは私見です。
この人類社会の幕間の脚本家達は、この先の人類社会に、一体、どの様な筋書きを用意しているのでしょう。そこは見えませんが、垣間見える事から感じるのは、とてもグロテスクな事です。
そして人類社会が、その筋書き通りに動く事は、資本に人間が首根っこを抑えられている限り、あがなう事は困難な事だと思いますね。
唯一の可能性は、人がこういう自身の心の仕組みを理解出来るかにかかってくると思いますが、どうやらそれも難しそうです。