自燈明・法燈明の考察

戦争について考える

 今日は戦後75年。終戦の日と言われる日で、大日本帝国が連合国のポツダム宣言を受諾する事を表明した日です。当然、実際に敗戦となったのは、これ以降にミズーリ号上で降伏文書に署名した9月2日となりますが、こちらの方は今の日本でもあまり取り上げられる事はありません。

 歴史を振り返ってみれば、明治維新から日清、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争と、先の太平洋戦争終結まで、ひたすら日本は戦争に首を突っ込んできました。

 これだけ戦争に関わってくれば、日本国民も戦争に疲弊していた事も考えられるし、特に先の大戦では筆舌に尽くし難い辛酸を舐めてきたので、恐らく太平洋戦争が終った段階で国民の中には、厭戦気分もかなり高まっていた事もあり、そこから今ある日本国憲法の成立という動きに続いたのではないでしょうか。

 しかし何故、人類は戦争をするのでしょうか。人類史とは見れば見るほど戦争の歴史であり、常に世界のどこかで戦争が起きていました。
 これは日本が敗戦して以降も同様で、朝鮮戦争の特需で日本の経済は急速に回復しましたが、その後にもベトナム戦争、フォークランド紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナの戦争、中近東に至ってはイスラエルを中心に幾度も戦争があり、近年ではアフガニスタンや湾岸地域でも幾度の戦争がありました。

 「日本は戦後、平和に生きてきた」

 そんな言葉もありますが、戦闘行為以外で様々な形で、それぞれの戦争に関与してきたのも事実で、こんな状況にあっても「平和でこれた」というのは、認識が低いと言われても致し方なしでしょう。

 ところで先の大戦で、日本は何が間違えていたのか、また何故、あの様な愚かな戦争をしてしまったのか、そこについて日本人としてしっかりと振り返りをしなければなりません。今の日本には「申し訳ありません」という贖罪意識はありますが、何が間違えていたのか、自分達の国の過去の行いを正確に理解せずに、そこには本質的な不戦の誓いというのはあり得ないと、私は考えているのです。

 自分達が起こした戦争の何が間違えていたのか、そこを理解していないと言う事は、自分達の中の悪の本質を理解していない事に通じます。

 戦争ほど残酷なものはない。
 戦争ほど悲惨なものはない。

 しかし自分達が起こした戦争の本質を理解しない限り、この先戦争を防ぐという事はできないでしょうし、愚行を再び起こす可能性は未だにあるのです。

 日本は戦後贖罪ばかり行い、それこそが平和を維持すると考えてきました。しかし現実にはその姿勢が国として足元を見られてしまっています。韓国から竹島を奪われ、尖閣諸島や沖ノ鳥島を中国から探りを入れられ挑発され、そんな中であまりにも未熟な国家主義思想が日本国内で助長されるのも、そこに大きな理由があります。

 戦争とは本源的には、人間が持ち合わせている業による行為かもしれません。そうであれば人間の心のかたちを理解する事も大事であり、それと共に自分達の国や民族の歴史についても、しっかりと理解する。

 そういう事が私は大事だと思います。

 皆さんはどの様に、お考えになりますか?



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