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【ボブ・グリーン寄稿】エノラ・ゲイ搭乗員と金正恩氏の違い 原爆を投下した男たちは決して自慢しなかった

2017-07-22 08:52:07 | 核(軍事)・原発・非核化・制裁

エノラ・ゲイ搭乗員と金正恩氏の違い

原爆を投下した男たちは決して自慢しなかった

2017 年 7 月 20 日 06:17 JST   THE WALL STREET JOURNAL   By Bob Greene

バンカーク氏(左)、ティベッツ氏(中央)、そしてファービー氏(右) 

――筆者のボブ・グリーン氏は作家で、エノラ・ゲイのパイロットだったポール・ティベッツ氏にも言及している「Duty: A Father, His Son, and the Man Who Won the War」などの著書がある

***

 「祝うようなことはしなかった。そのような行動をとらないよう、訓練を受けていたからだ」

 1945年に世界で初めて原爆を広島に投下した米B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の航空士、セオドア・バンカーク氏の言葉だ。筆者は最

近、エノラ・ゲイに乗っていたクルーのことをよく考えるようになった。核戦争を巡る不吉な空気が突如、流れ始めているからだ。北朝鮮

は挑発的な行動をとり自慢げに脅迫を続け、先週は国営通信社が「米国が灰と化す計画」について触れた。かつては想像にも及ばな

かった核攻撃の恐怖が再燃しつつある。


 北朝鮮の威嚇はさておき、ひとつ確実に言えることがある。世界初の原爆を実際に投下した男たちはその後、得意気になることもな

ければ自慢もしなかった。遂行するよう命じられた任務に関して、彼らは厳粛な姿勢を保ち続けた。


 1999年の春、筆者は米モンタナ州ブランソンを旅行で訪れた。バンカーク氏に加えて、エノラ・ゲイのパイロットで同氏の古い友人で

もあったポール・ティベッツ氏、そして爆撃手のトム・フィアビー氏も一緒だった。彼らが顔を合わせたのはこの時が最後だ。3人とも今

は亡くなっている。筆者は宿泊先のバンカーク氏の部屋で、終戦間際に果たした役割を搭乗員同士で祝う場面があったのかと質問し

た。


 バンカーク氏は「あの時代の人たちは、今の人たちほど感情をあらわにしなかった」と述べ、「もちろんわれわれも任務中にそのような

ことをしないよう訓練を受けていた。われわれが育った時代を思い起こしてほしい。ベーブ・ルースはホームランを打っても、ベースをた

だ一周するだけだった。当時、感情はあまり表に出さないものだった。自制心を保つことに誇りを持っていた」と続けた。


 広島、そして長崎に原爆が投下されて第2次世界大戦が終わりを迎えると、当然ながらタイムズスクエアをはじめとする米国各地は

喜びに包まれたであろう。AP通信も20世紀最大のニュースとして、後に原爆の投下を1位に選出している。だがB29の搭乗員たちが

目にした光景を見た人は後にも先にも他にいない。そして彼らは笑顔を見せ踊って喜ぶような心境ではなかったのだ。


 爆撃手のフィアビー氏は「あの下に自分の家族の誰かがいたらなんて考えたくもない」と筆者に明かし、「建物の一部が爆発の中心を

通って上昇してきた。街や建物の一部がこっちに向かって吸い上げられているのを見て、何か奇妙なことが起きていることは分かった」

と話した。


 フィアビー氏は自らに課せられた重苦しい任務を完璧に遂行したが、自分が英雄になった感覚は特段なかった。米ノースカロライナ

州で子供時代を過ごした同氏は、「野球選手になりたかった。それが私の夢だった」と話す。「1939年にはセントルイス・カーディナルズ

の春季キャンプに参加してフロリダ州まで行ったが、まだその時は十分な腕前じゃなかった。そうこうしているうちに戦争が始まった。

(中略)カーディナルズがワールドシリーズを制覇する手助けをしたかった。それ以外に望むことはなかった」


 ブランソンを旅行中、私たちはチェーン店のレストランで夕食をとることもあったが、他の客はこの3人の高齢者が誰なのか、ましてや

国が彼らに与えた任務が何だったのか、分かるはずはなかっただろう。筆者はティベッツ氏に誘われ旅行に同行した。そのティベッツ

氏は終戦後、自分がかかわった任務によって日本本土への上陸作戦が回避され、戦いがついに終わり、多くの米国人および日本人

の命が救われたため後悔の念はないと、一貫して公の場では語ってきた。


 しかしふとした瞬間に、ティベッツ氏は自身の考え方に異議を唱える人々の苦痛も完全に理解できるとも話した。同氏は「私は他の人

とは違う形であの日と関わりを持っている」と筆者に話し、「だからといって他の人の意見が間違っているわけではない。誰が間違えて

いて、何が間違いなのかも分からない。自分が正しいかどうかも分からない。(中略)感情的になり大泣きしなかったからといって、必ず

しも私が心の中で何も感じていなかったということではない」と続けた。


 仰々しい声明で凶悪かつ恐ろしい脅しを耳にすると、筆者は彼らのことを思い出す。3人の搭乗員たちは、いくばくかの悲しみを抱き

つつ、あることを承知しているように見えた。それは、長い歴史を振り返ってみても、戦争をすることは簡単であり、平和の維持は難しい

ということだ。


 バンカーク氏は穏やかな声で「私たちが凶暴な人間だったとは思わない」と筆者に語った。「任務を遂行した時の私は24歳で、記憶

の限り、それまでの人生で他人と殴り合いのけんかをしたことすらなかった」とも話していた。


 バンカーク氏は自分と他の搭乗員が行った行為によって、核兵器が利用されない未来が築かれることを期待していた。「そうすれば

人々は原爆投下を振り返り、世界が永続的な平和に向けて踏み出すきっかけを作ったと考えるようになるだろう」


 では仮に、あなたがいなくなったあと、世界が平和を尊重する場にならなかったとしたら?


 「もしそうならなかったら、人々は分別を失ってしまったかのように原爆を投下し合うことになるだろう」