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日米豪印のインド太平洋戦略が、中国の一帯一路より愛される理由

2018-03-05 16:13:35 | インド太平洋

日米豪印のインド太平洋戦略が、中国の一帯一路より愛される理由

2018年03月05日(月)10時30分  Newsweek   ユーラシアウォッチ 梅 海英
 
 

<地政学を塗り替えるシーパワーの衝突。日本海をものみ込む中国の海洋進出の勝算は?>

中国から海と陸とでアフリカやヨーロッパまで延伸する巨大な政治的かつ経済的な「一帯一路」構想。それに対抗しようと、

アメリカと日本、オーストラリア、インドが結束して、2つの大海を結び付けようと「インド太平洋戦略」を練り出した。


新たなシーパワー(海洋国家)同士の衝突が21世紀の地政学の勢力図を描き直そうとしている。中国には就役中の空母は1隻しか

なくても、初歩的な海図の作成法を学びながら、「広大な太平洋には中国とアメリカの2国を受け入れる空間がある」と主張。

また、南シナ海に複数の人工島を造営して軍事施設を建設。マラッカ海峡を押さえて太平洋とインド洋を行き来する艦船に対して

軍事力を誇示しようとしている。


1月26日には「北極政策白書」を発表し、北極圏内での活動の権利と自由を主張しだした。北極航海路の開拓に伴って、中国海軍は

自由に対馬海峡を抜けて北上。オホーツク海を通過して西・北太平洋への進出を図るだろう。日本の西に広がる海も名実ともに

「日本海」と呼べなくなる恐れが高まる。

中国 北極海でも「一帯一路」 権益拡大へ白書発表


だが実際、中国の海洋進出はそんなにうまくいくのだろうか。まずは歴史を振り返ってみよう。


人類の近代はヨーロッパ人が大西洋を横断し始めた頃から幕開けした。その始まりは13世紀に東方から突如出現した遊牧民が生んだ

モンゴル帝国への冒険だった。コロンブスはマルコ・ポーロの『東方見聞録』を船長室に置き、「大ハン(君主)の国」までの航海を

夢見ていた。


生物地理学者ジャレド・ダイアモンドが説くように、やがてヨーロッパはアフリカとアメリカという2つの世界を「発見」し、

「銃・病原菌・鉄」を運び、奴隷貿易を行って、大西洋を「植民地の海」にしていった。


喜望峰を経由して船でインド洋に乱入した武装商人はアジアの香辛料をヨーロッパに持ち帰ると同時に、新世界の金銀とイギリスの

羊毛製品などを運んで、海洋世界の貿易圏を形成した。その後、イギリスから独立したアメリカは内向きの国家経営と対外冒険を

繰り返しながら、西海岸からハワイを併合。太平洋を勢力範囲に組み込んでいった。


アメリカが成功した一因は、漁師あるいは倭寇として海に関する豊かな知識を持っていた日本が、列島の東方にさほど関心を抱かな

かったからだ。日本の目はもっぱら西に向き、防塁を築かなければならなかった。というのも、かのモンゴル帝国は2度も日本に

襲い掛かってきたからだ。「外敵は西から来る」という認識が日本人の心の奥に定着したのかもしれない。


「外敵は西から」と認識

そうした恐れを抱きながらも、日本は20世紀前半に懸命に東進した。ハワイ沖でアメリカと戦火を交えた末に失敗して以降は、

日本はアメリカの最も信頼できる同盟国になって今に至る。


一方、中国は歴史的に大陸国家だったが、モンゴル帝国の支配を脱した後は征西し、その遺産を略奪しようとした。

15世紀にイスラム教徒の武将・鄭和に艦隊を引率させて西への航海を試みた。鄭和はイスラム・ネットワークを利用したものの、

結局自身が接触できたのは中東にまで及んだ旧モンゴル帝国の関係者だけ。海上ルートの開拓は失敗した。


さらに中国は歴史的に、得意の大陸進出すら成功していない。漢字や儒教といった中華文明はいずれも万里の長城の西端、

嘉峪関(かよくかん)から遠くへは伝わらなかった。マルコ・ポーロら西方世界の人々が好んだのは中国の絹や茶といった物資で

あって、その価値観ではない。


今日においても、一帯一路の魅力は中国政府が作ったアジアインフラ投資銀行(AIIB)の人民元であって、彼らが説く思想や

政治理念ではない。


わざわざ安倍晋三首相が「価値観外交」と強調するまでもない。シーパワー同士の攻防において、「一帯一路」よりも自由で開かれた

「インド太平洋戦略」のほうがはるかに世界の支持を集めることだろう。