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中国・天安門事件、実際は“大虐殺”だった 英機密文書「犠牲1万人」人民解放軍の残虐行為とは

2018-02-01 21:35:19 | 中国・中国共産党・経済・民度・香港

中国・天安門事件、実際は“大虐殺”だった 英機密文書「犠牲1万人」人民解放軍の残虐行為とは

2018.2.1 11:00   産経新聞   エンタメよもやま話より

さて、今週ご紹介するエンターテインメントは、韓国と共にあちこちの国々に慰安婦像を建てるべく、裏で反日工作を続ける

あの国のお話でございます。

 本コラムではこれまで「韓国軍が数千人ベトナム女性を強姦し、慰安婦にしていた…米国メディア『日本より先に謝罪すべきだ』」

(昨年1月20日付、 http://www.sankei.com/west/news/170120/wst1701200001-n1.html )や

「韓国兵は3回も私を襲った…ベトナム戦争の残虐を英紙が報道、欧米で怒り・驚き噴出」(昨年11月24日付、

http://www.sankei.com/west/news/171124/wst1711240004-n1.html )などのように、欧米の音楽や映画はもちろん、

国際政治や経済、IT(情報技術)、動物愛護、環境保護、UFO&地球外生命体騒ぎに至るまで、国内外を騒がせるニュースを

すべて“エンターテインメント”ととらえ、他のメディアと違った視点でご紹介してきました。

韓国軍が数千人ベトナム女性を強姦、慰安婦に…米国メディア『日本より先に謝罪すべきだ』

韓国兵は3回も私を襲った…ベトナム戦争の残虐「ライダイハン」を英紙が報道、欧米で怒り

 

というわけで、今回も、こうした自国が犯した非人間的残虐行為や重大な戦争犯罪に対しては謝罪どころかそれ以前に事実すら

認めないくせに、日本に対しては謝罪を要求する連中の欺瞞(ぎまん)を暴(あば)く一件について、詳しくご説明いたします。

    ◇   ◇

■人民を戦車で踏み潰す…中国政府「死者は学生36人など民間218人」発表、実際は「万」

 みなさんも恐らくご存じだと思います。1989(平成元)年6月4日、民主化を求め、首都・北京の天安門広場に集まった学生を

中心とする一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が発砲したり、装甲車でひき殺すといった武力弾圧を強行し、多数の死傷者を

出した「天安門の大虐殺」です。


 「え、天安門事件のことでっしゃろ。大虐殺?。そんな大袈裟(おおげさ)なもんちゃいまっせ」と思ったあなた。間違って

ますよ~。


なぜか。中国政府は当時、発生から15日後の6月19日、死者数は学生36人を含む民間人218人と人民解放軍(PLA)の

兵士10人、武装警察官13人の計241人。負傷者は7000人と発表していたのですが、先ごろ英国で公開された外交機密文書に

よると、実際は何と、少なくとも1万人の一般市民が殺害されていたことが判明したのです。政府の公式発表の約41・5倍ですね。


 昨年の12月23日付で英BBC放送や英紙インディペンデント、フランス通信(AFP)など、欧米の主要メディアが一斉に

報じているのですが、この数字、どこから出てきたかと言いますと、当時の駐中国英国大使、アラン・ドナルド卿(きょう)が、

この大虐殺の発生翌日の1989年6月5日付で打電した英政府への極秘公電の中に出てきたのです。


■大虐殺の翌日、英国大使「中国の内閣から聞いた虐殺数は…」

 この極秘公電、ロンドンの英国立公文書館が保管しているのですが、昨年の10月に機密指定が解除され、それを受けて香港の

ニュースサイト「HK01(香港01)」がこれを閲覧。最初に内容を報じたのでした。


 前述した各メディアの報道によると、アラン卿の情報源は「中国の国務院の“良き友人”から聞いた情報を伝えてきた」人物で、

6月3日の夜から4日の夜の大虐殺についての状況が説明されています。


 ちなみに中国の国務院とは、実質的に中国を支配する内閣で、議長を務めるのは首相です。なので極めて信用できる内容なのは

間違いありません。事実、アラン卿はこの情報源について、この大虐殺が起きる以前から信頼できる人物で「事実と憶測と噂を慎重に

区別」する人物だったと説明しています。


1989年6月、北京の天安門広場に近い長安街で戦車の前に立ちはだかる男性(ロイター)


 では肝心の内容はどうだったのか?。アラン卿の打電内容について、前述の英紙インディペンデントなどはこう記しています。


 <天安門広場の周辺に集結した大勢の人々に“残虐行為”を行ったのは、(中国北部の)山西省の人民解放軍の陸軍「第27集団軍」

で、彼らの60%は読み書きができず、primitive(原始的な人々、幼稚な人々)と呼ばれていた>


 <(当時の中国の最高実力者である)●(=登におおざと)小平(とう・しょうへい)率いる共産主義政府が“最も信頼でき、

従順である”との理由で「第27集団軍」を選んだとみられる>


 <「第27集団軍」の装甲兵員輸送車(APC)は群衆を銃撃した後、彼ら(の遺体の)上を走っていった。

APCは時速64キロの速度で軍隊や一般市民を轢(ひ)いていった>


 <(集結した)学生たちは、天安門広場から退去するまでの時間として、1時間の猶予を与えられたと考えていた。

しかし5分後、APCが攻撃を開始した>


■生き残った1000人にも、機関銃で…

 <学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、(APCに)ひき殺された。そしてAPCは何度も何度も彼らの遺体をひいて

“パイ”を作り、ブルドーザーが遺体を集めた。集められた遺体は焼却処分され、ホースで排水溝に流された>

 

 <負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺された。そして負傷した3歳の娘を助けようとした母親が銃撃された。

この子供を助けようとした他の6人の人々も銃撃された>


 <「第27集団軍」はダムダム弾を使っていた。そしてこの軍の狙撃兵は、(建物の)バルコニーや路上にいる一般市民を

標的銃撃練習の的(まと)にしていた。北京の病院は、(軍の)治安部隊の負傷者だけを受け入れるよう指示された>

 

 <最初の大量殺戮(さつりく)の波が過ぎ去った後も、虐殺は続いた>


 <生き残った1000人は、脱出できると聞かされていたが、特別に用意された機関銃で掃射された。負傷者を助けようとした

救急車も銃撃され、乗務員が殺害された>

 


 そしてアラン卿は打電の最後にこう結んでいます。

 

 

 <最も少なく見積もっても、一般市民1万人が命を落とした>

 

 どうですか?。この極悪非道&人権無視ぶり(実際、打電内容には、軍のメンバー同士を殺害させたとの記述もある)。

 

 

 民主化を求める中国政府への抗議行動は数週間にわたって中国全土の約400都市で繰り広げられ、1989年の6月3日から

4日の夜、天安門広場でピークを迎えました。

 


 アラン卿は打電の中で<国務院の委員の一部は、内戦勃発の危機が迫っていると考えていた>と記していますが、内戦の鎮圧に

しては明らかにやり過ぎです。

 

 

 そして中国当局が発表した死者数がたったの200人から300人。また、大虐殺があった6月4日の朝、中国の赤十字は

死者数を2700人と推計・発表していますが、これも少な過ぎますね。

 

 

 ちなみに2014年に明らかになった米の機密文書には、中国軍関係者の声として、中国共産党が天安門の大虐殺の犠牲者

(死者)を1万454人だと考えていると記されていました。今回のアラン卿の打電に出てくる数字とほぼ同じです。

 

 

 フランス人の中国研究家ジャンピエール・カベスタン氏も前述のAFPに対し、この米の機密文書も類似した死者数をはじき

出していることから、アラン卿のこの数字には信憑(しんぴょう)性があると述べています。

 

 

 当然ながら、この大虐殺の死者数について中国はいまだにシカトを続けています。大虐殺によって命を落とした活動家の追悼行事は

一切禁止。これに関するネットでの議論なども厳しく規制しています。おまけに、これに関する情報を集めた海外サイトへの

アクセスまで禁止させようとする始末です。


 中国共産党は世界各国で反日活動にうつつを抜かす前に、天安門の大虐殺の犠牲となった無垢(むく)な一般市民を追悼する像を

北京に設置すればどうですかね?。

「天安門事件の死者は1万人」 英公文書を公開