①のつづき
自分を無罪とする責任回避
妄想による偶像への崇拝を選挙投票と引き換えに押し売りする姿は滑稽ですらある=米グレンデール 擬似イノセンスでは、自分をイノセンスと装うことが、自分が生きるための戦略として利用される。民族レベルでいえば、韓国が無罪であることが、韓国が(民 族の誇りを失うことなく)生きるための戦略として利用される。そこで日本は韓国にとって、どこまでも有罪でなくてはならない、責任が追及されなくてはなら ない、この世になくてはならない対象なのである。
彼らの関心は、自分(韓国)が善であり道徳的に正しいという聖なるイメージを維持することに向けられる。他者(日本)が自分の純粋さにどれほど応えてくれるかを期待し、自分自身の汚れのないイノセンスを再確認し続けようとするのである。
韓国人と人格障害
外部の権力から自分を守る防御として、イノセンスで自らを装う。その装いが強固であればあるほど、対人関係にさまざまな障害が生じてくることは疑いない。
十年ほど前のことだが、韓国の新聞で「二十歳の男性の45%が対人関係障害の可能性」という記事を読んだ。韓国の研究チームによる人格障害の調査だが、 「この数値は、米国やヨーロッパなど先進国の平均11~18%に比べて、2・5~4倍に達する」という(東亜日報日本語電子版2003年2月10日)。
記事には「今回の研究結果は国内学術誌『精神病理』と米国の学術誌『精神医学と臨床神経科学』に掲載される予定」とあったから、学術的な研究であるのは間違いない。
人格障害(パーソナリティー障害)とは通常、「偏った考え方や行動パターンのため、家庭生活や社会生活、職業生活に支障をきたした状態」とされている。関 係する書物(岡田尊司著「パーソナリティー障害がわかる本―『障害』を『個性』に変えるために」)を何冊か読んで深く考えさせられたのは、その偏り方が韓 国人一般に見られる精神的な傾向ときわめて酷似していることだった。
それら書物から私なりに 整理してみたところでは、人格障害の人には次のような性格の偏向が強く見られる。
(一)善悪、白黒、敵味方など、中間のない両極端の考えに陥りやすい。
(二)「私とあなた」(自分と他者)の区別があいまいで自分本位。
(三)容易に他人を信じることができない。
(四)自分は理想的・完璧だという思いと、自 分は劣等で価値がないという思いが同居している。
(五)物事を受け止める心が弱くて狭く、処理できなくなると暴発的な行動を起こしやすい。
いずれについても、韓国人の精神的な特徴と、とてもよく合致していると思わずにはいられない。疑似イノセンスがそうであるように、考え方が極端なので、広 い視野をもって物事を判断することができない。自己本位で自分を絶対視しやすいので、自分が善い(正しい)と思うことは他人もそうだと思い込む、何かまず い事態が起きても自分ではなく他人に問題があると考える、といったことが生じやすい。
他人が 信じられないので、表面的にしか親しい振る舞いができず、本当に他人に心を許すことができない。プライドが高いので、自信過剰とも見えるが、実際には自信 がなく劣等感に苛まれている。受け止める力が弱いので、すぐに感情的となり、冷静に物事に対処することが難しくなる。
ありのままの自分を愛すること 人格障害は自己愛の障害、つまり「ありのままの自分を愛すること」のできない障害だといわれる。自己愛が傷ついたり損なわ れたりしているために起きるもので、幼い自己愛に支配されている一種の幼児性とも見られている。
「ありのままの自分を愛すること」ができないと自分が嫌 になってくる。引っ込み思案から、ひきこもりにもなりがちである。しかし、そういう嫌な自分に我慢がならず、逆に「自己愛」を過剰に膨れ上がらせていく人 がいる。このタイプの人が陥る人格障害が自己愛性人格障害といわれるものだ。
自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む人格障害の一 類型である(米精神医学界「精神障害の診断と統計マニュアル」)。両親・家族が社会同様に「ありのままの自分を愛してくれる」体験に乏しいため、「ありの ままの自分を愛すること」ができず、自己愛性人格障害になりやすいと考えられている。
セウォル号沈没事故で高校生ら乗客を置き去りにして身分を隠し、われ 先に逃げ出した船長 何種類もある人格障害のなかでも、自己愛性人格障害の病像はとくに、韓民族の性格的な特徴をそのまま極端化したものであるかのよう だ。以下が診断基準となっている。
【診断基準】
誇大性(空想または行動における)、賞賛されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始ま り、種々の状況で明らかになる。
以下のうち五つ(またはそれ以上)によって示される。
(一)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張す る、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待)
(二)限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれて いる。
(三)自分が〝特別〟であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じ ている。
(四)過剰な賞賛を求める。
(五)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
(六)対人 関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
(七)共感性の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしな い、またはそれに気づこうとしない。
(八)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
(九)尊大で傲慢な行動、態度 (高橋三 郎・大野裕・染矢俊幸訳「DSM‐IV‐TR 精神疾患の診断・統計マニュアル新訂版」)。
自分をイノセンスで装い、いつしかそれが本当の自分だと思い込んでいく先に、こうした病理的な心的現象が出 てくるように思われる。人格障害に関連する精神医学・心理学の書物が記すところを私なりに整理・解釈してみると、自己愛性人格障害の人の対人関係には次の ような特徴が見られる。
▽「ありのままの自分を愛すること」ができないので、優越的な存在だという自分で作った幻想の自分を愛そうとする。
▽自分より優 れたものを認めたくないので、他人の優れた能力や才能を無視する。
▽他人を見下し・軽蔑・侮辱することが快感となる。
▽自分の優越幻想がなかなか示せない となると、過ぎたことであろうとも他人の欠点・難点を探し出してはなんくせをつけていく。
▽人をバカにしているので、自分もいつバカにされるかわからない と疑心暗鬼になる。
▽閉じられた自己幻想から出ようとせず、他人に心を開くことがなくなる。
韓国人がしばしば示す自民族優越主義、反日民族主義、反日行 為には、こうした心的傾向との同質性を強く感じさせられる。反日が常軌を逸すると思える根拠 多くの韓国人が示す反日行為が「常軌を逸している」と感じら れるのは、これまで見てきたように、火病に現われる複合的な怒り症候、人格障害に現れる各種の性格的な偏向ときわめて近似しているからである。
しかし彼ら は病者なのではない。彼らは、他者に依存したり他者や社会を攻撃することによって、火病や人格障害に陥ることを回避している「代償的擬似健常者」なのであ る。
自分には罪がないのに(イノセンス)、なにゆえに自分はこれだけの苦労を背負わされるのかと、コンプレックス(恨)が心の凝りとして固まっていく。 これが高じると火病にまで至る。
外部の権力から自らを守ろうとする疑似イノセンスが、ありのままの自分ではなく誇大にピュアーな幻想的自分を愛するように なっていく。それが高じると人格障害にまで至る。
韓国人の反日行為が「常軌を逸している」と感じられる根拠は、火病や人格障害と近似する心性を内部に抱 えた「代償的擬似健常者」
が、韓国社会に多数生み出されていることにあるのではないか。そこには、儒教・朱子学に特有な潔癖主義、厳正主義を重んじる、伝
統的な制度文化が、諸個人に対する外部の権力として強く作用していると思う。
儒教的な制度文化に覆われた社会では、制度規範としての絶対的な勧善懲悪 (善を勧め悪を懲らしめる)が人々の心の内面を圧迫する。そこでは、人々は自分の表面を勧善懲悪の構えで飾り立てて生きるしかなくなっていく。
しかし現 実はまことに不条理なものとしてある。疑似イノセンスが入り込む余地がそこにある。固まっていくコンプレックス=恨を抱え続
け、「アリラン」の歌のように それが解けていく先に希望をもとうとする。
現実には他者より抜きん出て俗世間で成功することが一途に目指されていく。 朝鮮半島の伝統的な社会では、そう した人々の恨をバネとする上昇志向が社会を活性化させる原動力となっていた。良くも悪くも、排他的な自己愛と自己繁栄のエネルギーが、自分の一族や自分が 所属する小集団の繁栄へと一途に向けられてきた。
こうした「集団利己主義」の社会が根本的な解体を経ずして近代へ突入した。日本統治下での近代化推進で 解体への道がつけられたとはいえ、戦後はその道を遮断し、反日を繁栄へのエネルギーとする国策が根を下ろした。「集団利己主義」の民族規模での強化が推進 されたのである。
終わり。
◇本稿は、呉氏が著書『「反日韓国」の自壊が始まった』(悟空出版)「第五章」前半を要点中心に圧縮し、新たな観点を加えて書き改めたもの。
なんて厄介な人種なんでしょうね。
韓国の新聞記事や、ネットでの発言を見ても、この分析にぴったりです。
一番判りやすいのは元慰安婦たちの発言と行動です。
日本人には狂ってるとしか思えませんが。
この記事を寄稿した呉善花氏も反日教育を受け、日本に来て現実を知ってからも反日から抜け出すのは
大変だったと語っています。精神的葛藤は大変だったと思います。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。