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トランプ政権の支援停止決定で、国連のパレスチナ難民支援機関が財政危機に

2018-09-03 15:09:42 | 戦争・内戦・紛争・クーデター・軍事介入・衝突・暴動・デモ

トランプ政権の支援停止決定で、国連のパレスチナ難民支援機関が財政危機に

2018年9月1日(土)12時00分   Newsweek      錦田愛子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授)
 

ガザ地区の学校で演説するUNRWAのピエール・クレヘンビュール事務局長 

 


<米政府は8月31日、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)に対するアメリカの支援を全面的に打ち切る

ことを発表し、反発が広まっている>


トランプ政権による資金凍結の決定で、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)は今、かつてなき財政危機を

迎えている。アメリカの国務省は8月31日、UNRWAに対するアメリカの支援を全面的に打ち切ることを発表した。


エルサレムへの大使館移転など、イスラエル寄りの強硬姿勢を示すトランプ政権は、2017年は3億6千万ドルを

超えていたUNRWAに対する拠出金を、今年は6千万ドルにまで削減することを既に1月の段階で発表していた。

実に80パーセント以上の支援減額だ。


これに加えて、先週の8月24日には、拠出金とは別にガザ地区等に対して直接送られる予定だった2億ドル超の

経済援助を、他の用途に振り替えることが発表されていた。今回の発表は、これらの段階的な削減の発表にとどめを

刺すものといえる。


こうした支援の停止は、パレスチナ難民に対する支援に深刻な影響を与えることが懸念されている。UNRWAによる

支援は教育、保健、戦闘で破壊されたインフラの整備の他に、貧窮家庭への食糧給付も含まれる。

パレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地区、ガザ地区のほかにヨルダン、シリア、レバノンを活動地に、

58か所の難民キャンプで、702の学校、144の診療所がUNRWAによって運営されている。2006年以降経済制裁下に

おかれたガザ地区では特に、住民の8割がこれらの支援に頼り生活している状態だ。


パレスチナ難民を70年間支援してきたUNRWA

UNRWAはイスラエル建国後に70万人超のパレスチナ難民が生じたことを受けて、1949年の国連総会決議により

設立された。以後、パレスチナ難民に対して70年間にわたり支援を続けてきた。その活動資金は、運営のための

わずかな国連予算を除けば、ほとんどが国連の193の加盟国からの拠出金および寄付により成り立つ。

最大ドナーであるアメリカからの支援額は、全体の約3割を占めていた。そのアメリカが、トランプ政権の発足以降、

方針を転換し、パレスチナに対する支援を打ち切ってきている。


年明けの拠出金削減の発表を受けて、UNRWAでは夏以前の段階で既に、通常の業務継続が困難となる財政破綻が

予見されていた。この窮状を各国メディアに対して訴えるため、今年6月末には世界各国の研究者や保健分野の

関係者から署名を集めたオープンレターが準備された。


UNRWA事務局長のピエール・クレヘンビュールは、今回の危機がUNRWA創設以来最悪の事態であると訴えている。

教職員への給与の支払いが困難であるため、9月以降の学校での授業再開は直前まで危ぶまれた。だが子どもたちの

教育を受ける権利を守るため、2億ドルの資金不足にも関わらず、UNRWAは予定通りの秋学期授業の再開に踏み切った


そのしわ寄せは、他の事業部門に及んでいる。UNRWAではパレスチナ人職員の契約打ち切りや、パートタイムへの

移行を余儀なくされ、ガザ地区では職を失う人々による座り込みなどの抗議運動が始まっている。

長年の封鎖に苦しむガザ地区では、失業率が40パーセントを超え、零細農業や紛争の度に打撃を受ける製造業の他には、

国際機関やNGOでの就業が貴重な職を提供してきた。


雇用の機会が乏しいガザ地区で、解雇は大きな打撃だ。とはいえ長年に及ぶ支援活動を通して、誰よりもそれを

熟知しているはずのUNRWAがそうした手段に踏み切らざるを得ないということ自体が、事態の深刻さを

示していると言えよう。UNRWAは教員や職員としてパレスチナ人を雇うことによる雇用創出そのものを、

活動目的や事業の一部としてきたからだ。

 

中東和平を進めると公言しながら、思うようにならない腹いせか

トランプ政権は、表向きはこれらの支援差し止めを「より優先度の高い目的に使うため」の予算の振替と説明し、

政治的な意図を否定している。だがこうした資金停止が、パレスチナ側に対する締め付けとして圧力をかけて

いるのは明らかだ。


トランプ大統領の大使館移転発言を受けて、それまでパレスチナ自治政府で和平交渉の窓口の役割を果たしてきた

ファタハのアッバース大統領は、アメリカとの交渉に応じない立場に転じた。そうしなければアッバース大統領は、

それでなくても脆いパレスチナ・コミュニティ内での支持を完全に失うことになるからだ。


他方でアメリカは、イスラエルの存在を否定するハマースとは、にわかに表立って交渉を始められない。

中東和平を進めると公言しながら、思うようにならない腹いせに、トランプ政権はUNRWAに対する支援打ち切り

という形で懲罰を加えているに過ぎない。


今年に入りアメリカは、UNRWAの事業そのものに対しても繰り返し不満を表明してきた。トランプ政権の政府高官は

8月5日のイスラエル紙ハアレツのインタビューで「UNRWAの事業自体が、問題を永続化させ難民危機を悪化させている」

発言している


事業を改善させるには、登録されたパレスチナ難民の数を現行の10分の1に減らす必要があると主張し、

ジャレッド・クシュナー大統領上級顧問は6月のヨルダン訪問の際、ヨルダン在住の200万人超のパレスチナ難民の

登録と支援を取りやめるよう圧力をかけたと報じられている


ニッキー・ヘイリー国連大使は、8月の支援停止の発言の直後、国連はイスラエルに対して偏見をもっていると批判した。

さらに国連総会決議194号で認められているパレスチナ難民の帰還権について、議論の見直しを迫ることを

示唆してもいる。


パレスチナ難民の深刻な人道的危機と地域的混乱

これらの動きを通してトランプ政権はUNRWAを解体し、難民問題の消滅を狙っているとする評価もある。

そうして和平交渉をイスラエルに有利に導くのが目的ともいわれるが、結果として導かれるのは、

パレスチナ難民の深刻な人道的危機と地域的混乱だけだろう。


UNRWAの支援対象者のうち半数近いパレスチナ難民が住むヨルダン川西岸地区とガザ地区では、国連または

居住地域を管理するイスラエル以外にその保護を行い得る主体は存在しない。だが、イスラエル政府が彼らの保護を

請け負う可能性は、限りなく低いと言わざるを得ない。ただちに人道的な危機が生じるのは火を見るよりも明らかだ。


国際社会がその責を担うなら、これまで数十年にわたり責務を果たしてきたUNRWAを通して支援を継続する方が、

はるかに効率的だ。UNRWAの解体は、500万人以上のパレスチナ難民に対する支援の混乱を招くばかりである。

公正な問題解決への提案以外でパレスチナ難民が帰還権を放棄することはあり得ず、難民問題が消滅することはない。


日本政府はこうした事態を受けて、6億円の緊急資金援助を行うと発表している。資金はUNRWAの中でも最も

優先順位の高いガザ地区での食糧支援に充てられる予定だ。いわばアメリカの支援の一部を肩代わりしているとも

いえよう。もとより日本はUNRWAに対する支援に積極的で、2015年度の日本の拠出金額は、アメリカ、EU、

イギリスなどに続く第7位であった


アメリカが政治的圧力としてUNRWAへの締め付けを強めている以上、支援の継続は日本の政治的立場を問われる

可能性もある。とはいえ経済封鎖下でガザ地区の多くの人がUNRWAによる支援に頼り生活をつなぐ中、

資金援助は人道的に不可欠な手段だといえる。アメリカの中東和平交渉における立場や提案の帰趨が不透明なものに

とどまる中で、パレスチナ難民はその命運を政治的な天秤にかけられているといえる。


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「戦争にチャンスを与えよ」エドワード・ルトワック より(P23,24)

難民は新しい国で新しい生活を始める。

「邪悪な介入」のもう1つの形態は難民支援だ。

歴史全般に言えることだが、戦争は難民を発生させる。そしてこれも歴史から分かることだが、難民は別の場所に逃れ

そこに定住し、そこで働いて家族を養い、子供を育て、そこで新しい生活を始めるものである。


ところが現代では、戦争が始まるとすぐに国連が到着して、「彼らは難民だ。キャンプを設置しよう」という

メカニズムが働く。すると難民は別の場所に移住することなく、キャンプ地に留まることになる。


パレスチナ人のケースで考えてみよう。彼らが最初に難民になってからすでに何世代もの時間が経過している。

シリアやヨルダンに移住する代わりに、その場に居続け、いまだに毎日、国連から食事の配給を受けている。

もしこのようなメカニズムが過去のーーたとえば第二次世界大戦後のーー欧州に存在していたら、

パリやミラノやローマのような都市はなく、代わりに巨大な難民キャンプがあちこちに設置されていただろう。


私が論文を書いた90年代半ばには、パレスチナ難民の発生からすでに長い時が流れていたが、その時点になっても

パレスチナ人は、イスラエルのすぐ隣に人工的に設置された難民キャンプで、先祖が住んでいた失われた村や土地に、

いつの日か戻ることを夢見ていた。


私がここではっきり断言したいのは、いかなる難民も別の場所に移住し、そこで移民となり、

新しい国で新しい生活を始め、幸せに暮らすものである。ということだ。