国立競技場を内部から見渡すことができたのは、本当に貴重な体験でした。
何も行われていない、空っぽのすり鉢の中で考えたのは
2008年にここを訪れた時のあらしさん、潤さま達の心の中でした。
私は一度もあらしさんのコンサートに参加してません。
コンサートに行きたいと思うようになった時は既に、
そのチケットは余りにも手が届かない位置になっていました。
ですから、毎回、落選を知らされても、DVDで見れるはず、
来年もある、今週もTVであえる、とそれ程の落胆はありませんでした。
それに、特筆すべき点として、
私が好きなのは、松本潤である、ということでした。
いつも、この人のヴィジュアル祭りをしている私ですが、
実のところ、彼の中身に心酔、あるいは、敬愛、畏怖すら感じているので、
コンサートやワクワクに参加できずとも、松本潤さえ感じることが出来れば
良かった、と思えるのです。
まるで泉のように、潤さまへの憧れが湧いてくるのです。
しかしながら、ライブこそが、松本潤の真骨頂である、というのもあり。
ライブに参加できないまま、扉の外でウロウロしているという、寂しさもまた真実。
つまりは、TVや雑誌で見る松本潤の日々のヴィジュアルに癒されつつも
彼の爆発をライブで体感出来ない空虚感を
DVDで垣間見る、それで満足しているわけであります。
おそらく、私と同じような心境の人は他にもたくさんいるのではないでしょうか。
落選は、泣いたりはしなくても、
ボディブローのように効いてくるパンチです。
もういいや、と言う人もいるでしょう。
チケットが取れなくて、裏切られたように思う場合もあるでしょう。
そう感じてしまったら、仕方のないことだと思うのです。
今の状況が、当の本人達に責任のないことだとしても、全てのファンに公平だとは言えないからです。
私も永遠にあらしさん、潤さまを応援できるとは誓えませんが
いつか、チケットが取りやすくなって、ライブにいけるまでこの気持ちでいたい。
ファンを楽しませることに渾身の努力をする松本潤だから、
ライブは一つとってみても彼の作品、DVDもしかり。
彼の、彼の愛するあらしの、作品を応援したい、と願うわけであります。
冒頭に書いた、
初の国立競技場ライブが決まって、空のすり鉢の中で、
潤さまたちは何を考えたのでしょう。
この広い会場を埋め尽くせるのか。
3時間、お客さんを飽きさせず、また来たいと言わせられるのか。
ここを使わせてもらえる喜びと不安と。
もしかすると、潤さまの頭の中には、入場した途端に、セットが構築され飛び回る5人が目に浮かんだかもしれない。
彼らは成功しました、もっというなら、今のところ成功しつづけています。
今後はどうなって行くのでしょう。
ポイントは、
潤さま達からみれば、嵐のエンターテイメントとしての質。クオリティー。
我々ファンからみれば、サービスの質です。
今の状況を鑑みて
事務局に意見を言う必要もあると考えます。
炎天下、あるいは極寒での長時間の行列でやっと手に入るグッズ。
オークションで落とせば入れてしまう、チケット購入の穴。
こういう理不尽と思えることにこそ、
ファンは、声をあげるべきだと思うのですが。
あらしさんのためにも。