脳梗塞で緊急搬送、カテーテル手術の不成功、入院治療。
通常の病院、つまり急性期病院でのこれ以上の入院はできないとのことで、療養型病院に転院に転院。(詳しくは、(続)脳梗塞で緊急搬送を参照)
面会は、平日1時から4時まで、土日は面会不可。これでは、働いている人には面会するな、とでも言っているようで土日面会を望む人が多いからであろうか、7月より土日面会が可能になった。閑散としていた病院に少し来院者が増え、活気が増えたような気がした。
同じ病気で苦しむ人が多いのか、ほとんどが、鼻からチューブで栄養を取る姿で、かつ、寝たきりである。高齢女性の脳梗塞がそんなに多いのに驚く。口から食べ物をとることができないのは、相当苦しいことのように見えた。目を開けるのも、しゃべるのも、ひとつひとつが苦しそうである。可哀そうである。
遠くのベットから、男性の声がする。「コラ、ここから出せ!誰かいないのか!」よくわからない言葉を永遠に叫んでいる。いつものことなのか、特に対応しようとする看護師もいない。縛り付けられるようにこの病院に閉じ込められて、動けずに食べられずに何もできない、叫ぶだけが残された自由なのだろう。
面会に行くたびに苦しそうな姿を見るだけである。病院より電話がある、「血中酸素濃度も下がり、緊急事態に備えてくださいとの連絡が来た。
面会に急いで出かけてみると意外と安定した状態になっている。ただし、表情は険しい、というか苦しそうである。とにかく苦しみが続いている。声をかけると目を開ける。だが、こちらの言葉が伝わっているか不明である。
そんな状態が5か月続いた。ただただ苦しい表情が続いている。
療養型といえ、病院であるので治療をやめるわけにはいかない。しかし、治すための治療ではない。苦しみから救う治療もない。ただ、生きている状態を維持するための医療。
入院時に医者から「ここでの入院の平均期間は、6か月である」と聞いていた。今月12月がその6か月である。
12月の20日過ぎ、続けざまに病院より電話がある。「血中酸素濃度が90を下回っている」「危険な状態である」。駆けつけると、マスクでの酸素濃度を増やしている。必死に呼吸をしている。見ているだけでつらい。最後に孫とひ孫に合わせようと面会に呼ぶ。ひ孫とは面会させてくれなかった。帰宅した。するとすぐに電話が鳴り、亡くなった知らせとなる。
なんとも自信なさそうな若いアルバイトの医者がやって来て、死亡を確認、死亡診断書を書いてくれた。葬儀会社に連絡し、遺体を葬儀場に運ぶ。今回は、家庭葬向けに建てられた小さな会場で葬儀を行うことにした。モダンなつくりの明るい葬儀場である。今回も無宗教葬儀となる。親戚に連絡、10名で見送ることになった。
長い苦しみから解放されたのか、死に顔は、少し笑っているように見えた。死化粧をされて、荼毘に付された。