義父が亡くなった。
誤嚥性肺炎を繰り返し、口から食物をとることができなくなった。腕からの点滴に移行した。さらに腕からも点滴ができなくなり、お腹からの点滴に移行、あと数日と医者から告げられた。
昔の人なので、葬儀社に会員登録し、毎月葬式費用を積み立てていた。その葬儀社に話を聞きに行くことにした。聞きたいことは、2つ。家族葬にする予定だが、どのようなものなのか。自分の親や親戚など今まで経験した葬式は、いわゆる多くの人が集まる一般的な葬式しか経験がないためどんなものか知りたい。もう一つは、全体の費用はどれくらいかかるのかということである。
葬儀社によると、まず、現在ではほとんどの家では、家族葬が主流になっているとのこと。義父は、98歳であるので、友人知人も存命の人は少ない。会社関係とは、30年も縁が切れているし、子供は一人なので、親戚関係も数少ない。そういう状況での葬式が、現在では、非常に多く、家族葬となっている。ただし、家族葬といっても、15人から20人程度のそれなりに多くの参列者がいる場合も含まれている。義父の場合は、5名から8名の葬儀を考えていた。
次に費用である。パンフレットをもとに説明を受ける。義父の積み立てコースは45万円のコースであった。通常そのコースで、積立金を含んで、おおよそ120万ほどの費用がかかり、その他の費用として僧侶の読経やお寺関係で、30万円ほどかかるとのことで、戒名費用も含まれていると言われた。つまり、僧侶関係は、セットで30万と決めてあるようだ。こちらからお寺にお伺いを立てる必要もなく、いろいろなパターンに対処してくれるそうである。
総額としては、120万円ほどの費用から、事前の会員積み立て金45万+サービス10万円が引かれ、その他の割引をくわえて、葬儀では、プラス40万円程度の費用が必要だと言われた。つまり、家族葬90万円となる。ただし、参列者の食事代は別、読経戒名費用は、別であると説明を受ける。
ここで、お寺との関係、僧侶との関係、お墓についての話になる。
義父の場合、曹洞宗との関係が長く続き、毎月僧侶が、仏壇に向けて読経してくれる関係にあった。しかし、90歳にもなるとお寺との関係も遠くなり、コロナで完全に手が切れた状況になった。義母も入退院がつづくなどお寺関係どころではなくなり、さらに老人施設に入り、家屋も解体し、更地になった。仏壇も業者にひきとられていった。お寺との関係が全くなくなってしまった。ある意味、無宗教の家となった。
そこで、僧侶を呼ばない場合は、どうなるのか、僧侶を呼ぶ場合はどうなくかを聞いてみた。お寺との関係がないのならば、こちらから僧侶を紹介するとのこと。なるほど、それが、僧侶のセット価格となると理解した。
僧侶を呼ばない場合はどうなるのかを聞いてみた。いわゆる「無宗教葬儀」となり、読経の代わりに音楽などを流すなどの説明を受けた。私個人としては、僧侶の読経のない葬式が想像できなかった。どれくらいの割合で「無宗教の葬式」になるか聞いてみた。2割近くがそういう葬式になっていると言った。ある意味、そんなに多くなっていることに、個人的に驚いた。読経がなくどうやって向こうの世界に送るのだろうかというのが素朴な疑問であった。業者としては、手配の関係上、僧侶を呼ぶ場合は、早めに連絡してくれとのことであった。寺との関係がなければ、どこの僧侶でもいいわけである。
妻は、無宗教でやることに或る程度決めているようであった。義母は入院中であり、親戚も少なく、反対する親族はいない。坊さんを呼ばない。
祖父が亡くなり、葬儀社へ連絡する。事前に相談していたため、事は問題なくすすんでいった。無宗教葬儀ですること、参列者は、8名程度の予定。写真の用意などいくつか個人的な準備を言われた。
納棺の儀式の流れとして、「末期の水」「湯灌(ゆかん)」白い仏衣を着せ、最後のメイクを施すことが、子供と孫とひ孫の5人の前で行われた。そして、納棺となる。通夜は、そこまでで、夕方には帰宅した。この日を通夜とは言わないかもしれない。
葬式が始まる。弔問客は、家族を含めて14名(幼児2名含む)となる。予定していた人数よりは増えた。来れないだろうと思っていた親戚も来てくれた。僧侶のいない葬式に誰も違和感を感じていなかった。火葬場へ運ばれ、荼毘に付された。骨壺には、本名が刻まれていた。
心に残るすばらしい葬式であった。
