言語の習得に「間違い」は避けて通れない道である。
ただし、幼児たちの間違いは、ほほ笑ましい場合が多い。
▼その1
<病院に見舞いに行っている場面、幼児は面会できないので車で待っていると、祖母と母が帰ってくる>
祖母「前の看護師さんに比べて今日の看護師さん、冷たかったね」
母「そうね、冷たかったね」
幼児「さわったの?」
一同 爆笑、「そう来るか!」
▼その2〉
絵本を読んでいると
----- くダンボールおじさん 〉にあいさつしよう。
読み始めてみると (<をカタカナのくと読んで)くだんぼーるおじさん...
→ 笑っちゃっていいものかどうか?
▼その3
「この葉っぱ、みどりくない」
ほほ笑ましい間違いとは言えないが、幼児もこのように「~くない」を使うのに違和感を覚える。
北九州大学の准教授アン・クレシーニ(自称 花ピアスのヤンキー言語学者)の「日本人が無意識に使う 日本語が不思議過ぎる!」という本に、色についての考察があったので紹介したい。
今、アン・クレシーニ氏の本を数冊読んでいる。彼女は、北九私立大学の准教授で日本語をこよなく愛し、日本語の習得に喜びを感じている言語学者である。外国人が、日本語を学び、驚きに満ちて成長していく姿と日本の赤ちゃんが日本語を習得していく姿が、ある意味で似ていたり、不思議だったりするところがいい。
この本から。
→日本人はなぜ「緑」を「青」と言うの? 野菜関連で青菜というでしょう。日本ではもともと緑を青と呼ぶ歴史がある。隣の芝生は青い。 青二才?
→日本にはもともと色を表す言葉が、白赤青黒の4種類しかなかった。この4つだけが、語尾に「い」をつけて形容詞になる。 赤い 黒い
→黄色い、茶色いには、語幹に「色い」が付く。 「~色い」が付くのはこの2つだけである。
→他の色は、色+の+「名前」になる 緑色の車。紫色の花。
→→ この仕組みを知る日本人は少ない。が、日本人の大人である私は間違わない。 幼児は間違う。外国人は間違う。
★ 形容詞と形容動詞、あるいは、「い形容詞」と「な形容詞」について
おいしい、美しい →言い切りが「い」で終わる「い形容詞」(形容詞)
きれいだ、元気だ →言い切りが「だ」で終わる「な形容詞」(形容動詞)
「い形容詞」は「否定」にすると、「くない」がつき、
→ おいしくない、美しくない。
「な形容詞」は「否定」にすると、「じゃない」(「で」)がつき、
→きれいじゃない、元気じゃない。(きれいでない)
こういう日本語の仕組み、成り立ちは、きっと、日本人には当たり前すぎて、考えたこともないはず。だけど、ネイティブではない人間には、ひとつひとつ登っていかなければならない壁である。同じように日本人の幼児も無意識に登っていく、時々、間違えながらも。 「きれいくない」「しずかくない」「元気くない?」
さて、「緑くない」は、かなり違和感のある表現だが、若者の間では、「ら抜き言葉」のように浸透し始めている。「まじめくない」
特に「~なくない?」という打消しの打消しで、同意・確認を求める 婉曲的な表現でよく使われるようになっている。
「ねぇ、あの人、きれいくない?」「ほんとね!」
でも、幼児が使うと違和感というか、使ってほしくない日本語のように感じてしまう。けれども、毎日が、「言語の発達」である幼児の日本語を見聞きしていると、おもしろくない?
<上海空港>