縄文時代前期遺跡 阿久遺跡の場合
環状列石があり、蓼科山を指す列石があるという
現物も写真も見たことは無いのだが、そのように云われていたので
列石は太陽暦に関係ない蓼科山を何故指すのか
ストーンサークルは何のためのものなのか
それはどちらも祭祀のため、目には見えない何かの存在に対して、祈りを捧げるものだったのだろう
よく見てもこの程度で、これもどうかという疑問があるようだ
縄文時代の遺跡を通じて
縄文早期から太陽暦は既に存在しているから、それをベースに祭の期日を定めて祭祀を行っていた
太陽は暦祭祀の対象ではあったとしても
縄文人社会の集団祭祀の対象とは少し異なるものだったのでは無いのだろうか
太陽による季節から始まる生業などに関係する精霊のような見えないものの存在を対象にしていたのだろう
蓼科山とか蓼科山に類似した山、富士山型のような山などを示すとされている遺跡の有り様から見て、縄文前期には祭祀に関しての思想は、既にここまで高度になっていたものと考える
それ以後のどのストーンサークルも、明らかに太陽暦の方位を示しているような遺跡は見えていない
太陽暦の方位を示す遺跡は金生遺跡・大配石での太陽暦観測遺跡のみではないだろうか。
現代でも標準時天文台は明石天文台一カ所であるのと同じで、縄文時代に於いても金生遺跡・大配石での太陽暦観測所は一カ所で無くては困るだろう。
因みにこの遺跡には縄文時代としては竪穴式で無い、異例の壁立て建物が存在するのは、その中心にはシャーマンなのか王なのかが居て暦を発令していたのか。
もしそうであれば、縄文時代からの金生遺跡・大配石の太陽暦観測所は、世界最初の太陽暦天文台として、世界標準時天文台とするのが良いのでは無いか。
図はお借りしました