立春は特別な日であるようです
卵が立つ日
立春に立つなら立冬でも
図はお借りしました
引用ーーーーーー
実は、中谷宇吉郎が卵を立てた日は古来の立春だったのである。どういうことか?
1947(昭和22)年の立春は2月5日だった。ただしこれは《定気法》によるものである。定気法とは、節気を太陽の位置(地動説で言えば地球の公転軌道上での位置)で決めるものである。春分のその位置を《太陽黄経0°》とし、15°ごとに二十四節気を定める。立春は太陽黄経が315°になる日である。
しかし、節気をこのように決めるようになったのは清朝の『時憲暦』から、日本では江戸時代末期の『天保暦』からなので、それ以前の長い歴史上では節気は《恒気法(平気法とも)》によっていた。こちらは1年(冬至から冬至まで)を単純に24等分するものである。そして現在の定気法と古来の恒気法では節気が微妙に違う。これは地球(惑星)の公転が『ケプラーの法則』に従うためである。
そして1947年に恒気法を適用してみると、立春は2月6日となる。記事には「『立春の日に卵が立つ』という故事の再現実験」とあるから、これは清朝以降の定気法ではなく古来の恒気法の立春とすべきであろう。それは2月6日であり、おそらく中谷が卵を立てたのもこの日と推察される。
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立春に卵が立つという現象について知りたい。
回答
(Answer)
結論としては、卵というものは立春に限らず、立てようと思えば立つものであり、卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。
回答プロセス
(Answering process)
インターネットで調べると中谷宇吉郎の随筆に「立春の卵」というものがある。
『中谷宇吉郎随筆集』 /S914.6ナ/ 樋口敬二/編 岩波書店 1988 (岩波文庫) pp.344-357 【資料1】
これは、1947年(昭和22年)の『世界』4月号に初出のもので、同年2月5日の朝日新聞の記事を取り上げたもの。立春に卵が立つ話は、支那の古書から。
結論としては、立春に限らず、卵というものは立つものである。卵の表面の凹凸は、きわめて滑らかな波形おり、人間の手でも、落ち着いて少し根気よくやれば調整できるはずであり、一旦立った卵は、一度くらい傾くまでは安定であって、それ以上傾くと倒れるはずである。問題は角度にして一度以内というのは恐ろしく小さい角度であって、そういう範囲内で卵を垂直に立てることが非常に困難なのである。このことは、卵は立たないという想定の下ではほとんど不可能であり、事実やってみた人もなかったのであろう。何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。