金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

三内丸山遺跡のシンボル、6本柱の指すもの

追加・・その後の調査から 三内丸山遺跡を象徴するこの巨木六本柱の大型建物や、ストーンサークルの原型とされる環状配石墓などは、最盛期を過ぎて大木式土器文化の影響を受けた縄文時代中期後葉につくられたらしいというので、それなら 6、12 という神秘数の存在はそちらからになるなら問題なく理解できる。・・ということが分りました。

 三内丸山のシンボル、6本柱の大型建物について、
6本柱の柱穴は正方形を2つ繋いだ長方形であり、この正方形の一辺は4.2mで、
6本柱正方形の一辺の 4.2mは35cm(縄文1尺)の12倍になっているという。

12の利用はさらに、ピタゴラス三角形の最も素朴な形が、辺長3、4、5で、その和が12であることにつながり、縄に1尺、2尺と目印を付け、12尺で切って、辺長3、4、5尺の三角形を作れば各角が30度、60度、90度の三角形ができる。
三内丸山の6本柱建設に際しては、縄文人に直角を出す技術は必須だと考えられるそうで、そのためにこの比が使用されたのであろうと推測されるともいわれていた。

では縄文人はこの12を何処から持ってきたのだろうか。
この数字12は半年一年暦の月の周期 6回であり、12弦となる、そして月の周期は一年に12回になる。
つまり月の周期である神秘数12、ここに起源するものと考える。12は 2×6 から作ったとしても良いのではないか。
しかし、三内丸山遺跡では太陰暦に関係する 6、12突起の土器は出ていないようなので、それを言うことは難しい。
けれど、周囲を取り巻く円筒土器文化圏の遺跡では、6,12の波状突起口縁の土器が存在するので、 6,12は知られている。
波状突起口縁の土器


その上に3,4,5の12については
このことは近くにある遺跡の遺物として出ていた土板に記録されていたものでは無いのか。
土板 大湯環状列石で出土   中央にある土板


これは建築者が用いたものなのだろうか。

三内丸山遺跡の周囲にある遺跡は、円筒土器文化圏とされており、それらの縄文遺跡には 6、12を知っていた遺跡が存在している。
また物流圏としては日本海側を通じての交流は広く盛んだったと思うので、富山辺りからの流れとも考えることが出来る。
物流

 

そうしたところから知識を得ていたという可能性は充分にある。

写真はお借りしました

引用ーーーーーー

 三内丸山のシンボル、6本柱の大型建物については、

縄文人の知的水準を推定できる重要な発見があった。6本柱の柱穴は正方形を2つ繋いだ長方形であるが、この正方形の一辺は4.2mである。

富山県埋蔵文化財センターの藤田富士夫前所長は富山県の不動堂遺跡などの大型竪穴住居跡の調査結果と、三内丸山の計測結果を総合して、縄文人は35cmを単位(縄文尺)とする物差しを使っていることを立証した。
6本柱正方形の一辺である4.2mは35cm(縄文1尺)の12倍である。
古代オリエントでも用いられた12進法である。

12の利用はさらに、ピタゴラス三角形の最も素朴な形が、辺長3、4、5で、その和が12であることにつながる。
縄に1尺、2尺と目印を付け、12尺で切って、辺長3、4、5尺の三角形を作れば各角が30度、60度、90度の三角形ができる。三内丸山の6本柱建設に際しては、縄文人にとって直角を出す技術は必須だと考えられるので、そのためにこの比が使用されたのであろうと推測される。(図1と写真2)
ーーーーーー

 大形住居と縄文尺
 1973年に発掘された 富山県 朝日町の不動堂遺跡では、縄文中期前葉~中葉(約4,800~4,400年前)にかけての総数19棟の住居の存在が確認されている。発掘された4棟のうちの第2号住居跡(中期前葉)は長径17メートル、短径8メートルにもなる小判形をした大形住居であった。広さは約120平方メートルで、畳が70枚は敷ける。長軸をほぼ東西にもち、炉は長軸方向に間隔を置いて4基設けられていた。東側の2基は長方形炉、西側の2基は円形炉であった。柱穴は16個、太さ30センチもある堂々としたものであった。

 この住居跡は、当時全国で知られていた一般的な直径が5、6メートルの円形住居と比べて格段に大きなものであった。大形住居の全国初例となり遺跡は国指定史跡として保存整備されている。

 その後、大形住居は東北を中心に発掘されてきており、不動堂遺跡は南端地域に分布することが分かってきた。

 不動堂遺跡の第2号住居跡の柱穴は整然と左右対称に並んでいる。規則正しく建物を造るには、長さの基準があったに違いない。
2列に並んだ柱穴の幅は4.2メートル(35センチの12倍数)ある。個々の柱の間隔は1.4メートル(4倍数)、2.8メートル(8倍数)、などとなっていて、すべての長さが35センチで割り切れる。青森市の三内丸山遺跡の6本柱の巨大木柱遺構の柱の間隔も4.2メートルあって35センチの12倍数となっている。

 これらのことから縄文時代には35センチを単位とする縄文尺が広く用いられていたものと考えられる。

 縄文尺はなぜ必要とされたのであろうか。不動堂遺跡の住居の復元に用いられた茅は、普通の住居には約1,300束、大形の第2号住居跡には6,800束を要した。
大形住居の建築には、村人総出の共同作業があったに違いない。
大形住居の用途には、冬場の共同の作業場や公民館的施設とする説がある。第2号住居には長軸方向に4個の石組炉がある。東の二つは円形、西の二つは方形をしている。この炉の形の違いは、出自集団の違いなのではないだろうか。

 近年の縄文社会論の一つに、「双分(そうぶん)原理」がある。二つの異なる血縁集団が寄り集まって一つの大集落を構成するといったもの。それは健康な歯を抜く抜歯習俗に、門歯を抜くタイプと切歯を抜くタイプの2種の人々が一つの社会を構成していたり、屈葬と伸展葬で葬られる2種の人々が同一の村を構成していたりすることから予測されている。

 不動堂遺跡では炉の形態が異なる二つの集団が協同して大形建物を造ったものと考えられる。縄文尺を基に長さの約束事を決めておけば、大勢の人が山から一定の木材を一気に伐りだすことができる。両端から住居を造っても真ん中できちんとかみ合うことができる。

 二つの集団が総出で一つの巨大構築物を造る行為そのものが「集団の固め」の効果を生んだ。縄文尺を用いての住居造りには、リーダーとなる人がいたことをもうかがわせる。

 縄文尺は、縄文前期から中期にかけての東日本の日本海沿岸に発達した大形住居に多く使用されている。縄文尺は、大形の建物になればなるほど使用率が高くなる。一つの集落の中に、縄文尺を使った建物とそうでない建物もある。使っている建物は大勢の協同作業で造られ、そうでない建物は個人的な家屋として造られたのであろう。

 縄文尺は倍数され、分数され様々な場で使用されたものと思われる。縄文人は高い計算能力と計測の概念をもちあわせていたのである。
ーーーーーー

【大型住居と縄文尺】

北陸から東北の縄文時代前期後半から中期にかけて、大型の住居が築かれており、東日本の縄文時代の一つの特色となっています。それは、とりわけ青森県や秋田県、山形県の多雪地帯と重なる日本海沿岸地域で目立っています。 かかる大型住居は、昭和48(1973)年の朝日町の不動堂遺跡の発掘調査によって、日本で初めて発見されました。不動堂遺跡では、一般的な直径4から5m位の円形竪穴に混じって長径17m、短径8mの小判形をした大型の住居跡(第2号住居跡)が営まれていました。長径方向に石組炉が4基、間隔を置いて設けられています。

不動堂遺跡第2号住居跡の柱穴は、全部で16個発見されました。直径約30㎝の堂々たる柱痕跡を有し、通常よりも太い柱が建っていたことを示しています。柱の間隔を測ると35㎝で割り切れる個所が多く認められました。このことから大型住居の企画には、35㎝を基準とする「縄文尺」が用いられていた可能性を推定することができます。 岐阜県飛騨市(旧・河合村)の下田遺跡での縄文中期の住居を分析したところ、より大型を示す住居の柱間隔が35㎝を単位とした数値で割り切れる比率が多くみられました。この傾向は、青森県の三内丸山遺跡でもみられます。このことは、家族単位で構築が可能な個人住居ほど企画が緩やかで、共同で構築し使用する大型の住居ほど企画が厳密であることを示しています。 長さの単位が決まっていれば、共同作業をする際に便利です。“「縄文尺」個分の柱を本切って運んでくる”といった、取り決めがあれば効率的な作業が可能となります。長さが決まっていれば、雪の荷重にも耐え得る丈夫な建物の構築も可能となる。これらの理由によって、縄文尺が登場したものと思われます。

【.縄文人の数字認識能力】

ここに、「個分の柱を本」としました。個、本というからには、縄文人に確かな数字認識能力のあることが前提となります。青森県三内丸山遺跡の縄文時代中期中葉(約5,000年前)の土偶や富山県早月上野遺跡の後期後葉の顔面土製品、秋田県大湯環状列石の後期の土版には、円形の刺突文であたかもサイコロの目やマージャン牌のピンズの配置のように、1に始まり最大で12までの自然数列が確認できます。これまで、土偶体部の円形刺突文は単なる文様としか認識されてきませんでしたが、意識して見ると、それが自然数列を成していることが明らかです。

数学者である伊達宗行大阪大学名誉教授に、このことをお伝えしたところ「頭の中に数処理がすでにあって」、それが呪術具に投影されたものらしいとご教示をいただきました。1から12までが、自然数列として確認できるのは、伊達氏が説く「縄文人の十二進法」による数字認識の可能性を示唆します。

人類最古の数字認識の獲得は、約5,500年前のメソポタミヤのシュメール人にあったと言われています。縄文人においても、5,000年前に確実に数字認識の証拠を、ここに提示することができました。そのような数字認識を獲得した縄文人にとって、「縄文尺」の案出も容易であったことと思われます。35㎝長の単位で柱間隔が割り切れる現象は、決して偶然や、はたまた人体尺による産物ではなかったであろうと思われます。きわめて文化的な所産であったとすることができます。 北代遺跡の住居や炉跡、高床建物の柱間隔、呪術具についても、このような縄文人の数字認識の視点から意識的に検討すれば、必ずや新しい発見があるものと思われます。
ーーーーーー

縄文人と「数字」認識
a.大型住居と縄文尺
北陸から東北の縄文時代前期後半から中期にかけて、大型の住居が築かれており、東日本の縄文時代の一つの特色となっています。それは、とりわけ青森県や秋田県、山形県の多雪地帯と重なる日本海沿岸地域で目立っています。
かかる大型住居は、昭和48(1973)年の朝日町の不動堂遺跡の発掘調査によって、日本で初めて発見されました。不動堂遺跡では、一般的な直径4から5m位の円形竪穴に混じって長径17m、短径8mの小判形をした大型の住居跡(第2号住居跡)が営まれていました。長径方向に石組炉が4基、間隔を置いて設けられています。
大型住居跡【不動堂遺跡】
大型住居跡【不動堂遺跡】
出典:藤田富士夫 『縄文再発見』 大巧社 199年
不動堂遺跡第2号住居跡の柱穴は、全部で16個発見されました。直径約30㎝の堂々たる柱痕跡を有し、通常よりも太い柱が建っていたことを示しています。柱の間隔を測ると35㎝で割り切れる個所が多く認められました。このことから大型住居の企画には、35㎝を基準とする「縄文尺」が用いられていた可能性を推定することができます。
岐阜県飛騨市(旧・河合村)の下田遺跡での縄文中期の住居を分析したところ、より大型を示す住居の柱間隔が35㎝を単位とした数値で割り切れる比率が多くみられました。この傾向は、青森県の三内丸山遺跡でもみられます。このことは、家族単位で構築が可能な個人住居ほど企画が緩やかで、共同で構築し使用する大型の住居ほど企画が厳密であることを示しています。
長さの単位が決まっていれば、共同作業をする際に便利です。“「縄文尺」個分の柱を本切って運んでくる”といった、取り決めがあれば効率的な作業が可能となります。長さが決まっていれば、雪の荷重にも耐え得る丈夫な建物の構築も可能となる。これらの理由によって、縄文尺が登場したものと思われます。
b.縄文人の数字認識能力
 ここに、「個分の柱を本」としました。個、本というからには、縄文人に確かな数字認識能力のあることが前提となります。青森県三内丸山遺跡の縄文時代中期中葉(約5,000年前)の土偶や富山県早月上野遺跡の後期後葉の顔面土製品、秋田県大湯環状列石の後期の土版には、円形の刺突文であたかもサイコロの目やマージャン牌のピンズの配置のように、1に始まり最大で12までの自然数列が確認できます。これまで、土偶体部の円形刺突文は単なる文様としか認識されてきませんでしたが、意識して見ると、それが自然数列を成していることが明らかです。
青森県三内丸山遺跡の土偶
青森県三内丸山遺跡の土偶
富山県早月上野遺跡の顔面土製品
富山県早月上野遺跡の顔面土製品


出典 「縄文時代の自然数列に関わる「数字」認識について」『考古学論究』第11号 立正大学考古学会 2006年 (一部改変)
数学者である伊達宗行大阪大学名誉教授に、このことをお伝えしたところ「頭の中に数処理がすでにあって」、それが呪術具に投影されたものらしいとご教示をいただきました。1から12までが、自然数列として確認できるのは、伊達氏が説く「縄文人の十二進法」による数字認識の可能性を示唆します。
人類最古の数字認識の獲得は、約5,500年前のメソポタミヤのシュメール人にあったと言われています。縄文人においても、5,000年前に確実に数字認識の証拠を、ここに提示することができました。そのような数字認識を獲得した縄文人にとって、「縄文尺」の案出も容易であったことと思われます。35㎝長の単位で柱間隔が割り切れる現象は、決して偶然や、はたまた人体尺による産物ではなかったであろうと思われます。きわめて文化的な所産であったとすることができます。
北代遺跡の住居や炉跡、高床建物の柱間隔、呪術具についても、このような縄文人の数字認識の視点から意識的に検討すれば、必ずや新しい発見があるものと思われます。
(藤田)


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旅行」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事