金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

今までの縄文観をアンラーニングする

中里貝塚の最後にはこのような文が付けられていた。

これは2004.01.に記載されていた。既に20年前である。哲学や指針は必要ないと考える。足らないのは世界の古代史の中で、日本列島に残されてきた歴史が、どのような位置にあるのかを知りたい。

 

欠けているのは、これだけの先行する日本列島の古代史が、世界の古代文明史の中で、どんな意味を持つものなのか。日本列島の新石器時代が、縄文時代が、メソポタミア文明から10,000年以前から先行していながら、古代文明の発展にどんな影響を与えていたのか、縄文時代の発明品は何なのか。欠けているのは、日本列島の歴史と世界の歴史が結びつけられていないこと。

神子柴遺跡の石斧と両面加工尖頭器の長距離の移動と会合には月齢の暦の存在があったのでは無いか。しかもそれはギョベクリテペ遺跡より10000年近く前のことでは無いのか。

縄文土器の突起の存在は、古代史の中で特殊なものであり、例の無いものである。神子柴遺跡の存在から見て、単に数を示すものとするのは考えがたく、数学の始まりとの関係を示すものでは無いのだろうか。

貝塚の存在は、集団での貝採取を示しているので、月の朔望周期と半年の6ヶ月を理解して、集団で計画的に行動していたのでは無いか。また中里貝塚では貝殻分析から、現代と同じ時期の貝採取時期を示していることから、すでに季節を知り一年の暦を知って計画的に採取していたのでは無いかと考える。

世界の古代史では、未だに明確になっていない基本的事柄があり、ここまで解明されて来ているにも拘わらず、その起源はこれまでのところ明確にされていない。それは縄文時代の文化の解明が、古代文明史と関係を持って行われていないことに起因していないだろうかと危惧する。

 

 

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初稿 2023.12.28

最近の書籍で、
「万物の黎明」
ユヴァル・ノア・ハラリ 『サピエンス全史』
これらの書籍では、先史時代に最重要と思う太陽暦開発の歴史について、何も触れられていない。
農耕をするのにも、サケの遡上回帰漁、貝塚を形成するのにも、必要とされる知的技術であり、その暦の開発に関して何ら触れられていないというのは不思議である。これは西アジア以降の歴史記録の中にまともな太陽暦開発の歴史が存在しないのが、その根本的原因では無いだろうかと思う。

図 世界文明史と縄文文明の歴史経過を対比してみると、縄文早期までの歴史は、世界文明史を遙かに凌駕して古くから発展してきたことが分る。太陽暦開発などは縄文時代早期には確立していたと推測できる。それは世界各地の文明開始より遙かに古かったことが分る。

縄文時代は新石器時代のなのか、先史時代なのか
縄文時代についてこれまでの見解は 引用します----ーーーーーーーーーーーー
日本における新石器時代
日本の縄文時代は縄文海進が進んだおよそ1万3000年前からと定義できる。
しかし、温暖化した気候に併せて木の実の採取や植林の痕跡は見られるようになったものの、これを「農耕」としては定義できておらず、
また「牧畜」文化も発見されていないため、
日本で新石器時代の語を定義するのはふさわしくないともされている[1]。
----ーーーーーーーーーーーー引用終わり

旧石器時代から新石器時代になり新しく作られるようになったものは何でしょうか。
狩猟方法は槍から弓矢を用いる猟に高度化して変化した。
農耕の開始も新しく開発されたその一つである
しかしこれらを超える新石器時代の最も大きな変化は、土器を造り出したことではないでしょうか。
それは生活用具の道具、それ以外の祈りや宗教の始まりに関係するとみられているものなど様々なものが造られた。
さらにメディア、情報伝達に使用されたものである土器の製作である。
土器は第三の道具として、記録を永久に残すことが出来るようになったことが、最も大きな変化であると考える。
土器は思い通りのものを造形して、永久に残すことが出来るようになった。
縄文時代は17000年前の土器造りの最初から土器に記録を残してきていた。
これから見て、新石器時代とは石器から土器に変わり、歴史が記録されるようになった時代であるとすることが出来るのではないでしょうか。
現在の縄文時代に対する認識はおかしい。

図 土器の変遷年表
新しい縄文観は、世界最初の新石器時代を切り開いたのが縄文時代であるということ。土器の最初の開発に関しては、未だに何処からだったとは確定されていない。しかし土器を第三の道具として、新石器時代の歴史を記録しているのは、縄文時代だけであると思うので、縄文土器の時代からが歴史時代である。
先史時代の名称を書き換えることになると思う。

言葉の定義
縄文時代とは、土器が初めて造られた17000年前から2500年前ころまで、弥生時代の初期まで
縄文土器の時代とは、土器から縄文模様が消える前期半ばころまで

 

2024.12.13 追記しました。  草創期から前期半ばまで続いてきた縄文模様は、それ以後全く異なる模様となった。それは生業が変わり、社会体制が変わったことから起こってきたものと考える。土器の模様は集合表象に変わったものと考える。地域なり部族なり、結束力を高めるために土器と土器模様は作られることに変わったのでは無いだろうか。


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